アルラウネを泣かせてはならない。
アルラウネの泣き声を聞いた人間は死んでしまう。
だが、もしもアルラウネの涙を手に入れることが出来たなら
それは万病を治めうる薬となるだろう。
しかしアルラウネを泣かせてはならない。
アルラウネの泣き声を聞いた人間は死んでしまうのだから。
――あかいあかい、あめがふる。
――おおきなこえと、おおくのこえ。
――あかいあかい、あめがふる。
陽の落ちた廃墟の街を、歩き続ける影がある。
腰までをカバーする軽鎧に、肘まであるガントレット。
足から脛を護るレギンスを履き、一般的なロングソードを腰に吊っている。
腰には他に、こぶし大の大きさに膨らんだ袋が二個、吊り下げられていた。
冒険者というには整った、やや重装備ないでたち。
インナーは全体的に薄緑色で、鎧は白がメインだった。
その上に乗っているのは、女性の顔。
髪は清涼感のある緑色をしたショートボブ。
大きな蒼い瞳は、今は憂鬱に伏せられ、足取りも重い。
愛嬌のある丸みを帯びた顔には、一面に疲労が張り付いていた。
その足は、巨大な建造物の前で止まる。
威圧的にそびえたつそれは、石造りの壁だった。
何もかもが打ち捨てられたこの廃墟の街で、ただひとつ、朽ち果てることなく立ち続ける、唯一の建造物。
「処刑場、か……。」
それは私にとって非常に見慣れたものだった。
イヤな記憶しかない場所だったが……私は、その中に入っていった。
入り口の鉄格子はさすがに健在のようで、この中ならば安全だと判断したからだ。
野犬に夜盗、警戒すべき対象はいくらでも存在する。
このように身を寄せられる場所があるのなら、利用しない手はない。
ここが夜盗のアジトと化している可能性もあるだろうが……。
もしそうだとしたら、ここまで来る前に何らかのアクションがあっただろう。
鉄格子を開き、朽ちかけた木の扉をくぐると、果たして想像通りの光景が目に飛び込んできた。
石壁によって切り取られた、広大な円形の広場。
大地は踏み固められており、家々が倒壊するほどの年月を経た今でも、草の一本すら生えてはいない。
そして、その真ん中には……。
「ここも、斬首か……。」
木で組まれたステージが鎮座していた。
今はもう朽ち果て、低くなっているものの、当時は腰の高さくらいまではあったはずだ。
……首を落とす瞬間が、誰からもよく見えるように。
イヤな光景が、頭に浮かぶ。
頭を強く振って、その光景をかき消す。
この調子では、悪夢を見ることは間違いないだろう。
野犬に食い散らかされるのとどっちがマシだか、と一瞬だけ考えて……
また、頭を振ってその考えを消す。
とにかく、早々に寝てしまうべきだ。
そんなことを考えてしまうのは、心身ともに疲れきっているせいに違いない。
やや無用心ではあるが……装備を外し、外壁に背を預けた。
――イヤだ、イヤだ!あたしが何をしたって言うの!
――好きにすればいい!だが、何も変わりはしないぞ!
――死にたくない!なんだって僕が!
――呪ってやる、呪ってやるぞ!思い知れ、自らの横暴を!
――群集よ!これが真実だ!この
「っ!!」
手にいやな感触が残っている。
それは、この場所が見せた光景なのか、私にまとわりつく怨霊が見せたものなのか。
最悪な夢を、見た。
乱れに乱れた息を整えていた、そのとき。
「何っ!?何が、いるの?」
その声に、思わず跳ね起きる。
そのときに、置いていた剣を拾い上げるのも忘れてはいない。
「に、人間……?」
女性の、おびえきった声。その声に一瞬だけ警戒を解く。
が、ここがどこだったのかを思い出し、また警戒態勢をとる。
声は、どこから……。
「いや、いやっ!来ないで!!」
声は……斬首台だ!
ザッ、と振り向くのと
「いや、イヤァァァァァァァァ!!」
金切り声が響くのは、同時だった。
「ぐ、ぁ……」
頭が痛い。
何かが、頭の中に入り込んでくる。流れ込んでくる。
ガララン、と音を立てて、手から剣が滑り落ちる。
握る力すら残らない。気にする余裕すらありはしない。
頭が痛い。
「あ……うああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫が、抑えられない。
不思議なことに、その間でもしくしくと泣き続ける女の声だけはハッキリと聞き取れていた。
あたまがいたい。
頭の中に、何かが入り込んでくる。
いくら叫んでも、女の嗚咽をかき消せない。
頭の中に流れ込んでくる「何か」。
そうだ、これは。
かつて私が、何度も浴び続けてきた感情。
たったいま、夢で見せられた光景。
それに気づいたところで、私の意識は途絶えてしまった。
「くっ……」
痛みで目が覚める。
なぜうつ伏せで寝ているんだろうか。
確か寝る前は、壁に背を預けていたはず。
「うっ」
さっきから続くこの痛みは何なんだろうか。
体中から鈍い痛みが、そして何より、頭がとにかく痛む。
身体を起こして、頭を強く振る。
痛みは増したが、思考はすこしだけマシになった。
それと共に、少しずつ思い出してくる。
今居る場所、寝る前の体勢、最悪な夢。
それから……。
絶叫。そして、泣き声。
あの声はいったい何だったのか。いったい、自分に何があったのか。
そうだ、私はあの声を受けて倒れたんだ。
絶叫を聞いた瞬間、頭痛がして……。
でも、なぜ?
そう、あれはただの声ではなかった。
私は確かにあの声にただならぬものを感じた。
何だったか……。
倒れる瞬間、間違いなく何かを感じたはずだ。
そう、そうだ。何度も浴びせられた、長く慣れてきた、それは、感情。
憎しみ、そして怨み。
あの声には、ありとあらゆる憎しみ、怨みが込められていた。
「!」
そこまで考えて、唐突に頭がハッキリとした。
声に感情を込めてたたきつける。
理屈はわからないが……、魔法的な攻撃のひとつと考えて間違いはない。
だったら、いつまでもここで考えているのは得策ではない。
……いや、もしも悪意のある攻撃なら、私が今この瞬間に無事であることはおかしい。
殺されてもいなければ……五体も満足だ。
考えれば考えるほどわからなくなる。
第一、攻撃者は……そう、声の主はどこにいるんだ。
どう考えても真っ先に探すべき対象のことにやっと考えが及ぶ。
どうやら、本当に頭が混乱しきっているようだ。
そんな自分を恥じることもそこそこに、彼女はやっと周りを見る。
処刑場。それはここに入ったときから何も変わってはいない。
強いて言えば、夜が明けかけてあたりが明るくなりはじめていることくらいだ。
ひたすらに高い石壁。朽ちかけた木の扉。草の一本もない踏み固められた土の地面。
そして、真ん中には、断頭台。……?
断頭台に、違和感がある。
違和感の正体は、すぐにわかった。断頭台の根元に、緑色の何かがあるのだ。
近くに落ちていた剣を拾い上げ、正体を探るために断頭台に近づく。
その正体も、ほんの少し近づいただけでわかった。
人だ。
断頭台の根元に、人が倒れていた。
この場にそぐわないような、緑色のドレスを着た、服装から察するに女性だ。
かすかに動いていることから、どうやら死んではいないようだ。
それにしてもなぜ、こんな場所に女性が。
それより、いつの間に来たのだろうか。
昨日、ここについたばかりの時は居なかった。
絶叫を聞いた時には、暗くて周りが見えなかった。
と、いうことは、私が寝ているときにやってきて、一緒に声を受けて倒れたのだろうか。
……それも、考えづらい。
いくら悪夢に苛まれていたとはいえ、人の気配がしたらさすがに気がつくはずだ。
いくら考えても、不明な部分が多すぎる。
……まさか、この女性が攻撃者?
……なおさらありえない。
攻撃者だったとして、なぜその攻撃者がここで倒れているのだ。
とりあえず、私はここで彼女が目を覚ますのを待つことにした。
被害者ならこのままここにおいていくのは気が進まないし……、
万が一攻撃者だったとして、この様子では危険性は少ないと判断したからだ。
「う……ん……」
まぶたがかすかに揺れた後、小さく声を漏らす。
あれからそれほどたたずに、彼女は目を覚ました。
寝ぼけているのか、細い目であたりをきょろきょろと見回し……
私と目が合うと同時に、大きく口を開け……
「待った!待った!」
悲鳴が来る、と直感で感じ、剣を投げ捨て、その口をふさいだ。
「んー!んんー!!」
「お願いだから落ち着いて!私はあなたの敵じゃないから!」
驚いたことに、彼女が攻撃者だったようだ。
なぜ私を攻撃するのか。なぜ私に止めをささないのか。なぜ気絶していたのか。
そして、なぜまた攻撃しようとするのか。
もろもろの疑問はあるが……今はそれどころではない。
「んんー!!んー!」
激しく暴れながら、彼女は叫ぼうとする。その目じりにどんどん涙が溜まっていく。
今まで気づかなかったが、服に無数についているトゲが刺さって痛い。
「信じて!私はあなたの敵じゃない!お願いだから!」
ひとつ思いついて、足元に転がっていた剣を遠くに蹴る。
「ほら、これで私は武器も無い。だから、お願い!」
それを見て、彼女はやっと暴れるのをやめた。
「……驚かせてごめんなさい。でも、あなたの叫び声は、その」
なんとか落ち着いてはくれたものの、どうしたものか。
改めて彼女を見る。
なんとも形容しがたい形の、強いて言えば魚の骨のような、ギザギザした緑色の生地を幾重にも重ねた不思議なドレス。
そのドレスには、さっき身をもって体験したように、なぜかたくさんのトゲがついているようだ。
ドレスの造りのせいか、身体のラインはあまり出ていない。
が、長袖からわずかに除く手首は細く、全体的にスレンダーなのだろう。
それなのに胸は大きく膨らみ、同じ女として少し……いやかなりうらやましい。
よく見ると、彼女の首筋や手首などは無数の傷で赤くなっており、ドレスのトゲは内側にも向いていることを感じさせる。
いったい何を意図しての……装飾?なのかはわからない。
目線を上に動かす。
髪はピンク。短く、ボサボサであちこちにはねている。
目は眠たそうに細められ、瞳は緑色だ。目じりはやや下がっている。
鼻もすらりと高く、全体的に整った、美しい顔立ち。
しかし、彼女の顔で何よりも特徴的なのは、眼の下にある濃いクマだろう。
せっかくの美人なのに、そのせいで暗く、かえって病的な印象に変わってしまっている。
「そ、そうだ。ね、あなたの名前は?」
その目で睨まれているような気がして、とっさに話しかける。
そうだ、何をするにしても、まずお互いの名前を知らなければ。
「なまえ? ……わたしの?」
彼女は、ほとんど口を動かさずに喋るようだ。
艶を帯びた、けだるそうな声。
「そう、名前。……あ、私はね、グラシェード。グラシェードっていうの。」
「……マリア。グルシレンド。アキラ。リリック。サッツリェータ。リヴハ。サン」
女の私でも、思わずドキッとしてしまうような、そんな声で淡々と羅列する、言葉。
「ちょ、ちょっと待って。それ、全部あなたの名前?」
不審に思って思わずさえぎってしまう。
が、彼女はその質問に、頷く。
「そう。みんな、わたしのなまえ。だけど、わたしのなまえじゃない。わたしに、なまえはない。」
「ど、どういうこと?」
「あかいあめ。」
「赤い、雨?」
聞きなおすと、頷いた。
「あかいみずの、もちぬしの、なまえ。」
赤い水の持ち主の名前。どういう意味なのだろう。
「ふってくるの。あかいあめ。」
私が言葉を返せないでいても、彼女は少しずつ喋り続けている。
「わたしは、みてた。ここで、だれにもきづかれずに。」
ここで、と、自分の足元、処刑台の足元を指差す。
その指の先には、シミが見えた。
赤黒く、上のほうから続いている……
「赤い水って!」
思わずあげてしまった大声に、また彼女は怯えた顔をする。
「ごめん、なんでもないの。大丈夫、大丈夫……。」
必死で彼女をなだめながら、頭だけを働かせる。
思い出せ、思い出すんだ。
処刑台、地面に続く赤い水……血。そして、そこに居る女性。絶叫。
このすべての言葉が結びつく何かを、私は知っているはずだ。
そう、かつてあの場所……騎士団の、隊舎で読んだ本。
野外での活動に役立つからと読んだ、薬草の本。
その、ジョークにも似たコラムのコーナーに、その単語がすべてあったはずだ。
処刑台に咲く、人型の魔物植物。
花に、処刑時の血を吸わせることで、変異する。
その涙には、万病に打ち勝つ力があるが、手に入れることは困難を極める。
その魔物は非常に臆病で、すぐに泣き出してしまう。
それだけなら好都合なのだが……ひとつ、困ったことがある。
その泣き叫ぶ声を聞くと、人間は死んでしまうのだ。
耳など塞いでも意味などない。それほどに強力なのだ。
その魔物の名は……
そう、彼女は魔物。その名は……アルラウネ。
「……あなたは、アルラウネなのね。」
「あるら……うね?」
「……ううん。なんでもない。」
彼女が魔物であるとして、それを告げて、なんになるというのだろう。
私にはもう帰る場所も、武勲を褒めてくれる人も居はしないのだから。
確かに、彼女は私に危害を加えた。だが、私はこうして生きている。
読んだ本には、助かる術は無い、とまで書かれていたけれど。
所詮は、眉唾な話だ。
ただ彼女は臆病で、身を護るために攻撃をしたにすぎない。
私たちと何が違うのか。
いや、私がしてきたことに比べれば、よっぽど……。
「そうだ。あなたに、名前をあげる。」
妙に、明るい声になってしまった。
「……あなたの?」
うんざりしたような表情で問い返される。
そんな彼女を安心させるように、暖かく微笑みながら、ゆっくりと宣言する。
「ううん、違う。ほかの誰でもない、あなたの。あなただけの名前。」
「わたしの、名前。」
「そう。……そうね、フロル、なんてどう?」
「ふろる……?」
「そう。古い言葉で『花』っていうの。」
花の魔物だから、フロル。我ながら、センスが無い。
「イヤかな?」
「ううん。フロル。わたしの、名前。」
予想外に、彼女は即答で受け入れてくれた。
「ありがとう、グラシェード。」
そう言って、彼女は笑いかけてくれた。
彼女と和解してから、急に眠気を覚えて、そのまま眠り込んでしまった。
目が覚めたときには、もう日が昇りきっていた。
頭はすっきりとしている。どうやら、悪夢は見なかったようだ。
私が身体を起こしたのに気がついたのか、横で眠っていたフロルも目を覚ました。
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん。わたしは、ねむらなくても平気だから。」
「そう。」
平気、と言いながらも眠そうに目をこするフロルを、微笑みながら見つめる。
「おはよう、フロル。」
「うん、おはよう。グラシェード。」
「グラシェード、どこかに行くの?」
置いたままだった装備を調べていると、不意にフロルが話しかけてくる。
「……どうして?」
「ううん、いいの。そうだよね。」
フロルの様子がおかしかった。
ついさっきまでは、機嫌が良さそうに太陽の光を浴びていたと思ったのに。
「どうしたの?フロル。」
「近づかないでッ!」
鋭く放たれたその一言に、思わず昨晩のことを思い出して身構えてしまう。
その私の挙動を感じ取ったのか、フロルの表情が悲痛に歪む。
「そう、そうよ。わたしは、にんげんに復讐すために生まれてきた。あなたといっしょには居られないの。」
「復讐……?なんで、あなたが?」
「そう、恨み、怨んで、憎しんで。呪い、苦しめ、殺す。それが、わたしなの。」
「フロル?フロル!」
様子がおかしいなんてものじゃない。
こっちを向いては居るものの、その顔に表情はなく、目に至っては焦点があっていない。
底知れないものを感じ、手にトゲが刺さることも構わず、フロルの肩をつかみ正面からその顔を覗き込む。
「やっ……、触れないでっ!」
「ダメ。今、手を離せば、絶対に後悔する。」
つかんだ手を、全身で暴れて引き剥がそうとするフロル。
フロルの錯乱に引き込まれないように、勤めて冷静な口調を保ちつつ、なんとかフロルの身体を抑えようとする。
「やだ、やだっ!わたしに触れないで!」
どれだけ力をこめても、フロルはそれ以上の力で暴れようとする。
この華奢な身体のどこにそんな力があるというのか。
「お願いフロル。落ち着いて!」
このままでは振り払われる。
「!」
そう思った瞬間、私はフロルに抱きついていた。
もう、彼女を抑えるには、それしかないと思った。
「だめ……。はなして……。」
とたんに、彼女の抵抗がゆるくなる。
「いやだ。絶対に、離さない。」
それは抵抗というよりは、弱弱しく身体をよじっているだけだ。
震えるように首を振ると、今にも消えそうな声で、つぶやく。
「ちがう。ちがうの。グラシェードが、けがしちゃう……。」
「いいの。そのくらい。……ね、フロル。落ち着いて。」
「わかった。わかったから。だから、はなして……。」
「だーめ。もうちょっと、こうしてる。」
フロルの様子が変わったことには気がついたが、それでもフロルを離さない。離してあげない。
何を言っても無駄だと悟ったのか、フロルの抵抗が止まったのを感じた。
「フロル?」
もう十分に落ち着いたと思ったので、未だに腕の中に捕まえているフロルに声をかける。
声での返事こそ無かったけれど、腕の中で小さく動いたので、それを返事だと解釈する。
「どうしたの?さっきは。」
可能な限り、優しい声で。可能な限り、ゆっくりと。
フロルが、驚かないように。
「……こわかったの。」
「怖かった?」
繰り返すと、小さくうなずいたような動きを感じた。
「グラシェードが、もう行っちゃうとおもった。」
「私が?」
「よろい、しらべてたから。もう、いっちゃうんだって。」
「そんな……」
そんなこと、と言おうとして、やめた。
……旅立たなければ、じゃあ、どうすればいいのか。
「そんなこと、無いよ。」
どうしようもないのなら。
「私は、どこにも行かない。ずっと、フロルと居るよ。」
今、目の前にある選択肢を選ぼう。
「ホント!?ホントに?グラシェード!」
「ええ、本当よ、フロル。」
この約束を、いつまで守ってあげられるのか、わからない。
もしも「そのとき」が来てしまえば、フロルを巻き添えにしてしまうかもしれない。
それでも。
「ずっと、一緒に居るよ。」
この子から、笑顔を奪いはしないと、心に誓った。
「グラシェード、大丈夫……?」
フロルを抱きしめたときについた傷を確認していると、フロルが、気遣わしげに声をかけてきた。
「大丈夫。なんともないよ。」
本当は、全身がまだひりひりと痛むのだが……もちろん、表には出さない。
さて、これで問題のうちひとつは片付いたのだけれど……。
ひとつ、重大な、本当に重大な問題が、残っていた。
そもそも、鎧を調べていたのには理由があった。
それは確かに、フロルが予感したとおり、外に出るためだった。
ただし、旅立つためじゃない。
むしろ、ここに居るために、必要なことだった。
……しかし、どうしたものか。
フロルは今、本当に上機嫌だ。
天気もよく、鼻歌を歌いながら、日向ぼっこをしている。
目が合った。大きく手を振ってくる。
それに、小さく手を振り返す。
また、上機嫌に鼻歌を歌い始める。
でも、そのフロルの上機嫌の理由は、つまり、私。
私が、ずっと一緒に居ると、約束したからだ。
つまり、外へはいけそうにない。
フロルに気づかれないように、細く、長く、ため息をついた。
「ね、グラシェード。お話、してくれない?」
「えっ!……っと、お話?」
「うん。」
ため息の途中で突然にそんなことを言ってきたものだから、思わず声が裏返ってしまった。
「……どうしたの?」
「ううん、ちょっと気を抜いてたから、びっくりしちゃって。」
とたんに不安そうな声になるフロルにあわてて返事をして、すぐそばまで行ってあげる。
「お話、だっけ。どうして?」
「ううん、なんとなく、なんだけど……」
申し訳なさそうな声になっていくフロルに、思わず笑ってしまう。
不思議そうに見上げてくるフロルに微笑みかけて、頭をなでる。
「そんなに面白い話は知らないけど、いいかな?」
「うん。……あ、グラシェードのこと、聞きたい。」
「私のこと……?いいよ。……あまり、面白くないかもしれないけどね。」
そう前置きして、私は自分のことを話し始めた。
私の故郷は、ここと同じく、山の中に隔絶された中規模の街だった。
人が良く、いつも領民のことを考えている領主様。
そんな領主様の下で、領民を護るために日々訓練を重ねる騎士団。
彼らに護られて、日々を幸せに生きる人々。
私も、そんな街と領主様を助けたいと願い、やがてその騎士団の一員となった。
騎士団の訓練も任務も、楽なものではなく、女である身には堪えた。
それでも、女だからといって区別はせず、騎士団の一員として鍛え上げてくれた団長のおかげで、一人前の騎士となることができた。
幸せな日々だった。
かつてあこがれた騎士団の一員として、自分の故郷を護ることができた。
末端の一員ではあったが、その事実が、何よりの充実を自分に与えていた。
「しあわせ、だったんだね。すごく、たのしそうなかおをしてる。」
「うん。本当に、幸せだった。このままずっと、この街を護っていくんだ、って思ってた。」
「……グラシェードも、いつか帰っちゃうの?」
「……ううん。もう、無理なの。」
不安そうな顔をするフロルに、笑いかけようとして……失敗した。
そう、ずっと街を護りたいと願った私は、今、こんなところに居る。
数日歩いた程度では帰れないような場所に。
「……私は、……私は、故郷から」
そのとき、言葉では表現できないような、ものすごい音がした。
「……」
なんというタイミングだろうか。
自分に呆れてしまうと同時に、感謝する。
故郷のことを思い出しているうちに、感情が高まりすぎていたからだ。
それが、さっきの音で一気に、全身から力が抜けてしまう。
「グラシェード……?今の音、何?」
感情が落ち着いて、その上、フロルから訊ねられてしまうと。
「え、……っと、」
今度は、恥ずかしさに全身が支配されてしまう。
体中が、特に顔が熱い。
だが、どうしようもない。ごまかしたとして、今の話を続きをする気にもならない。
「お腹の、音だね。」
「おなかの、おと?」
「そう。……この二日くらい、何も食べてなかったから。」
「?」
恥を忍んで説明したのに、フロルはいまいちわかっていないようだ。
ひょっとして、フロル……アルラウネには、食べるという概念が無いのだろうか。
無理も無いのかもしれない。
もともとアルラウネは植物で、植物は光と水さえあれば生きていけるのだ。
仕方が無いので、人間にとって、食事がどれほど大切かを説明する。
何も食べずに居ると死んでしまう、とまで説明したところで
「そんなっ!グラシェード、死んじゃうの?」
突然に、フロルが悲鳴をあげた。
「やだ、やだよ!グラシェードが死んじゃうなんて!」
あわててなだめながら、まだ死ぬわけじゃないと繰り返す。
「でも、そのためには、外まで探しに行かないと行けないの。」
「そと……まで……」
フロルは完全にうつむいてしまった。
そのまま、何度も私の顔を見たり、すぐにうつむいたりを繰り返している。
思わず引きそうになるが、せっかく話題を出してしまったし、このまま押し切ることに決める。
どの道、ここでフロルを納得させることができなければ飢え死には避けられない。
「お願い、フロル。絶対、絶対に帰ってくるから。」
何度も、念を押す。
フロルも、私の一言一言に、頷き続ける。
「……うん、わかった。やっぱり、グラシェードが死んじゃったらイヤだもん。」
やがて、顔を上げる。
その顔には、ぎこちない笑顔があった。
「ありがとうフロル。……それじゃあ、行ってくるね。」
その小さな頭を、私はしっかりと抱きしめる。
処刑場から出て、改めて廃墟の街を見渡す。
既に瓦礫の山と化してはいるものの、その数からかつての繁栄が伺える。
通りもしっかりと整備されていた跡があり、かなり先までまっすぐに見通せる。
食べ物を探すにも、ここで暮らすことにするにしても、まずは周辺に何があるかを確認する必要がある。
ひとつ頷き、足を踏み出す。
防具は、すべて処刑場においてきた。
私の境遇から考えて無用心きわまりないが、広範囲を散策するのには、身軽なほうがいい。
それに、必要なものを置いていくことで、フロルが少しでも安心できるかもしれない。
ともかく、今の頼りは腰にさげたロングソードだけ。
周囲への警戒は怠れない。
まずは、街の中を巡ってみる。
建物の朽ち具合から、打ち捨てられてから相当な年月が経っていることがわかる。
中には、樹に食われてしまっている建物すら存在するほどで、十、二十年程度の経年ではないだろう。
街の構造自体は単純で、まず中心からやや北寄りに、一際大きな建物の残骸がある。
おそらくはそれが領主の館で、そこから年輪を描くように家々が広がっている。
そしてこれは本当に予想外だったのだが、その領主の館の庭で、食べ物を発見した。
見たことも無い奇妙な形をし、微妙に赤みがかった非常に薄い皮を持つ木の実だ。
本来なら毒を警戒するところだが、あまりに空腹だったため、ほんの少しの逡巡で口にする。
領主の館に植えられているくらいだし、毒のある物ではないだろう、と決め付けたのだ。
中の実も皮と似たような色をしていて、そして、ものすごく柔らかい。ほんの少し歯を立てただけでも、たくさんの甘い汁が滲み出してくる。
長い間まともに飲み食いしていなかった私には、水分、味共に完璧と言ってもいい果物だ。
思わず、夢中で数個をむさぼってしまった。
……気を取り直して、散策を再開する。
その館から南に向けては瓦礫の山が広がっており、北に向けては木々に飲まれた瓦礫が続く。
もともとは領主の館が最北端にあり、そこから何らかの事情で北へも開拓を行ったのだろうか。
街の南西寄りには、その年輪型の構造を無視して、巨大な石造りの建造物が鎮座する。
それこそがフロルの居る処刑場で、後になって無理やり造られた物だと想像できる。
そして大事なことだが……街全体をめぐっても、井戸が存在しなかった。
これはつまり、近くに川や池などの水場があることを意味しているはずだ。
私がこの街に入った側……南側にはそんなもの無かったので、北になるのだろうか。
北へ向かう道は上りになっており、さらに木々に埋もれた廃墟を歩くことになる。
だが、さすがにもう陽も傾きかけているので、これ以上は進めそうもない。
とりあえず、領主の館で先ほどの木の実を数個もぎ取り、処刑場へと戻ることにした。
「ッ、グラシェードッ!」
扉をくぐるなり、フロルの切羽詰った声が聞こえてきた。
何か起きたのかと、あわてて声のするほうを見て……肩の力が抜ける。
視線の先には、今にも泣き出しそうな、安心したような、ものすごく複雑な顔をしたフロルだけが居た。
地面にへたり込み、処刑台に両手をつき、なんとか上半身だけをこちらに押し出している。
必死に不安と戦っていたのだろうその顔を見て、思わず顔が笑ってしまう。
「ただいま、フロル。」
「グラシェード!グラシェードぉ!」
何度も何度も呼ばれる声に応えて、足早にフロルのところへ向かう。
その間にフロルは身体を起こし、朽ちた処刑台に腰掛ける。
「ただいま、フロル。」
もう一度、言う。
「ね、約束、守ったでしょ?」
「うん、うん!」
必死にうなずくフロルに微笑みながら、フロルの正面に座り込む。
「……ここは、思ったより広いのね。一日かけても、たいした収穫は無かった。」
「……また、行っちゃうの?」
「そうね。……まだ、必要なものが見つかっていないから。」
残念そうな顔をするフロルの頭を、優しくなでる。
どの道、必要なものが見つかったとしても恒常的に外に出なければならないのだが……それは、今は内緒にしておこう。
「でもね、いいものも見つかったよ。」
そういいながら、袋から例の果物を取り出す。
「甘くて、水分もたっぷりで。とってもおいし……どうしたの?」
果物を見せるなり、フロルの様子が激変する。
「そ、それ……それは、何?それは、ひょっとして、まさか。何?嘘。」
よくわからない言葉を繰り返しながら、視線がどんどんと虚ろになっていく。
……いや、違う。逆だ。視線は、一箇所に集中している。そこから動かない。
つまりは、さっき取り出した果物に。
「それは。それは。良かった。実ったんだ。まさか。育ったんだ。うそ。うれしい。でも。」
「フロル?どうしたの?」
「あなたが。そう。ねぇ、それ、どうしたの?どこに?」
バッと。音がしそうな勢いで、顔がこちらに向く。
その目に光はなく、しっかりとこちらを見据えているにもかかわらず虚ろだった。
「ひ、ひときわ……、大きな館に。」
わけのわからない迫力に気おされ、とっさに答える。
「領主さまの!ね、そうでしょう?すごい、実ってたんだ!良かった!」
そこまで一息にまくし立てると、突然にビクンと痙攣し、そして目に光が戻った。
「……フロル?」
「……うん。」
「今の?」
「パイ。……いちばんさいしょの、『わたし』」
「さい……しょ?」
「パイは、『それ』をそだててた。それね、『桃』っていうの。」
「もも?」
「うん。とおくのくにから持ってきた、くだもの。それをパイは、そだててた。」
「そうだったの。これは、貴方……ううん、『パイ』が、育てたのね。」
「うん。……だけど、だけど。『パイ』は……。」
ハッとする。まさか。『パイ』は。その成長を
「そだちきる前に、処刑されたの。」
見届ける、ことが、できなかった。
「いつも、泣いてた。悲しんでた。怨んでた。……でも、それは、みんなとおなじ。みんな、おなじ。」
なのに、とフロルは続ける。
「きょうのパイは、いつもとちがうの。その『桃』を見てから。」
これはなに?と戸惑った口調でフロルは続けた。
フロルは、本当に戸惑っているようだった。
だけど。
その顔を見れば。答えは、簡単だ。
「それはきっと、喜んでるんだと思う。うれしいんだよ。」
だって。
「フロル、あなた、笑ってるよ。」
「わら……う?」
これが。と、つぶやいた。
「こんな……ことも、できたんだ。これが『うれしい』。これが『わらう』。」
幸せそうな、気持ちよさそうな笑顔のまま、フロルはそっと目を閉じた。
きっと、心に、記憶に刻み付けているのだろう。
その顔は本当に美しく、病的に見えた目の下の濃いクマですら、今は顔を飾る化粧に見える。
「グラシェード……、あり……がとう。って、パイが。それと、わたしからも。ありがとう。」
そのまま、笑いかけられる。
「そ、そう。」
相手は同性だというのに、心臓が、大きく跳ねた。
「私のほうこそ。ありがとう。おかげで、飢えをしのぐことができた。……とっても、おいしいよ。」
ぎこちなく、私も笑い返した。
あぁ、何言ってるんだか、私。
「それじゃあ、いってくるから。」
「うん。……なるべく、早く帰ってきてね。」
翌日フロルに見送られて、私はまた散策に出かけた。
今日の目的は、あの先……さらに、北へと進む。
目的のものが絶対にあると信じ、領主の館であるものも手に入れてきた。
瓦礫はそれほど進まずに途絶え、あとは延々と木々があるだけ。
そんな中をさらに進んでいくと、突然に視界が開ける。
あった。思ったとおりだ。
視界が開けた理由は単純明快、川がそこにあったからだ。
意外と幅があり、そのおかげで木の無い空間ができている。
水は綺麗に澄んでいて、魚が泳いでいるのも見える。
一切の不満の無い、完璧な状態だといえる。
「さて。」
となれば、やることは決まっている。
「おかえり!グラシェード!」
「ただいま、フロル。」
フロルに笑いかけて、いつものように近くへ行く。
「それは、何?」
私が抱えている物に気がついて、フロルが訪ねてくる。
「うん、やっと見つけたんだ。」
質問には答えず、抱えていた物を置く。
「これは……水?」
「そう、水。綺麗でしょ?」
抱えていた物。それは、バケツだ。木を直接くりぬいて作られた物で、多少ヒビは入っていたものの、少し水につけていればすぐに使えるようになった。
領主の館で仕入れていたもの。それがこのバケツなのだ。
フロルは、水に手をつけたり、すくってはじいたりして遊んでいる。
「フロルは花だから、いいかなと思って。」
「うん!ありがとう!」
「……でも、どうすればいいの?」
口から飲むのだろうか。
「台の、下。そこにまいてくれればいいよ。」
言われて、目をやる。台に残る血の染みが思わず目に付いて……
なるほど、根か。
「わかった。……でも、ちょっと待ってね。私も使うから。」
言いながら、次は腰に吊っていた二つの袋を外す。
中には、さっき採ってきた魚や山菜。
別の袋からは木の枝、それと、これはずっと持っていた火打石。
「……フロルは危ないから、ちょっと近づかないでね。」
一応、そう注意しておいてから、火を起こしにかかる。
「いいにおい。」
注意の通り遠巻きに、フロルがこちらを覗き込む。
枝に刺した魚がいい感じに焼け、平たい石で焼いていた山菜も程よくやわらかくなってきた。
「フロルも、食べる?」
と訊くと、
「……たぶん、むり。」
という返事が返ってきた。
やはり、姿かたちが似ているだけで、根本的には違うのだろうか。
「……でも、たべのこしでいいから、台の下に」
「うん、わかった。」
残念そうに言うフロルに、苦笑いしながら返す。
フロルには悪いけれど、私はもうお腹ぺこぺこだ。
先に、食べさせてもらおう。
朝は、彼女よりも先に目を覚まし、必死にしがみつく彼女を起こさないように、ぼんやりと時間を過ごした。
昼は、寂しそうに手を振る彼女に微笑みながら手を振り返し、水や食べ物を集めに行った。
夕方は、彼女の溢れんばかりの笑顔に迎えられ、食事をしながらいろんなことを話した。
夜は、彼女と二人で星を眺めながら、また明日ねと約束し、眠りについた。
今日も、グラシェードは外に食べ物を探しにいっている。
フロルは、退屈そうに処刑台にもたれ掛っていた。
今までは、独りでだってぜんぜん平気だったのに。
グラシェードと一緒に居るようになってから、独りが退屈で仕方ない。
「あれ……?」
ふと、頭に何かが当たったような気がして、フロルは空を見上げる。
その顔にも、次々と当たる。
「あめ。あめだぁ。」
その正体に気づき、自然と顔がほころぶ。
「うふふ。ふふふふ。」
両手を大きく広げ、全身でそのしずくを受け止める。
「む。……雨か。」
まだあまり集まっては居ないが、今日は早めに引き上げたほうがいいかもしれない。
そう思って、足を止めた瞬間だった。
背中から、身体に、何かが強く当たる感触。
いや、それだけじゃない。尋常じゃない異物感が
この、身体の真ん中から
そこまで、無意識に考えて、気づいた。目に、入った。
自分の腹から、刃の切っ先が生えていた。
「鎧も無い。警戒心の欠片も無い。教えを忘れたか?裏切り者。」
声がかけられる。
「まさか。自分の立場をすら忘れたのか?」
その声を、自分は知っている。よく知っている。
声の主、剣の持ち主。襲撃者は……かつての師、騎士団長だ。
「やっと、見つけた。裏切り者め。遥か遠方の山奥。見つからないはずだ。」
感情の感じられない声で、淡々と喋る。
何故か、異常に頭がすっきりとしている。貫かれたはずの腹部も、痛みが感じられない。
……こんな、喋り方だったろうか。
知っているはずの声なのに。間違えようなど無いというのに。
その喋り方に、とにかく違和感がある。
団長は、もっと熱い人だったはずだ。
……でも、そんなことを考えている場合じゃない。
団長の変わりようも気になる。
だが、それよりも。
今は、もっと気にしなければならないことがある。
大丈夫。……身体は、動く。……剣を、
気づかれないように、静かに、そっと引き抜き……
「まあいい。確実にトドメをッ!?」
団長の太ももに突き刺す。
それと同時に剣を離し、後ろ手に団長の身体を押し、両足を踏ん張り前に跳ぶ。
不快な感覚が全身を走り、同時に全身から力が抜けてゆく。
すぐに崩れそうになる両足にありったけの力を込め、走る。
「キサ、マ!どこに、そんな力がァっ!」
後ろから声が聞こえてくるが、かまうものか。
全力で、走る。
どんどんと強くなる雨を、地面に寝転がり浴びる、フロル。
ザァザァと続く音の中でも、フロルはその音を聞き逃さない。
「お帰り、グラシェード!見て見て!久しぶりに雨が……っ!?」
扉が開く音を聞きつけ、いつものようにフロルが声をかける。
だが、その上機嫌な声は、一瞬で凍りつく。
振り向いた先にあったのは、いつものグラシェードの笑顔ではなく……
「どうしたの!?グラシェード!?」
扉の隙間から、ズルリと倒れこむ姿だった。
これだけの雨の中、それでも落ちずに、その下半身を彩るモノ。
見慣れた、親しんだ、狂おしく求めた、その色に身を染めるグラシェード。
だが、フロルの顔は悲痛に歪む。
少しずつ少しずつ這い寄ってくるグラシェードに、待つのももどかしいといった様子で少しでも身体を伸ばそうとする。
ようやく、腕の中にたどり着いたグラシェードを、フロルは優しく抱きこむ。
「ごめ……ん……。」
ただそれだけをつぶやいて、全身から力が抜けたように重くなる。
「フロ……ルと居る、と……。なんだか、安心する……。」
ぐったりとフロルにもたれかかったまま、虚ろな声でつぶやく。
「だいじょうぶ。わたしは、ここに、いるよ。」
「でも……だめ……。ご……め……ん……。」
もう一度、謝って。
「グラシェード!?グラシェード!」
慌ててグラシェードを仰向けに抱きなおす。が、そのまぶたは既に閉じていた。
必死に呼びかけても、まぶたはピクリとも動かない。
と。また、扉のほうから音がした。
ガチャリ、ガチャリと。金属の軋む音。
あの日見た、グラシェードのものとそっくりな鎧を着た人間が立っていた。
でも、見た目はそっくりなのに。何かが、決定的に違う。
真っ赤に染まった長剣と、一回り短い剣をぶら下げ、血走った目でこちらを見据えている。
ガチャリ、ガチャリと。一歩一歩、鎧を鳴らしながら近づいてくる。
「追い詰めた、ぞ。裏切り者。殺す。必ず、殺す。」
その言葉を聴いた瞬間、何かが、フロルの中で膨れ上がり、
爆発した。
「お前が。お前がっ。お前がッ!お前がグラシェードを殺したのか!」
気がつくと、叫んでいた。
「返せ!返せ返せ返せ返せ!返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ!!」
真っ赤に染まり、動かなくなったグラシェードを、ぐっと抱きしめながら。
「グラシェードを。」
生まれて初めて。
「グラシェードを!」
自分の意思で。
「返せッ!!」
殺意を込めて、叫んだ。
この男が、憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
この男を、殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
「返ッ!せええええええええええええええええええ!!」
「なっ……これは!」
騎士団長は、一瞬だけ動きを止め、
「……アルラウネ?ははっ、こんなっ、ところに……ッ」
今までとは違う、人間らしい。しかし、疲れ切った声で呟いた。
だが、その直後。その声は生き物のものとは思えない絶叫に取って代わる。
絶叫はやがて、意味のわからない言葉の羅列に代わり、そして……。
その手にさげた剣をしっかりと握りなおし。高々と掲げ。
自分の身体を、深々と貫いた。
それをまた引き抜き、何度も、何度も、何度も、自分に突き刺し、切り刻んでいく。
足は用を成さなくなり、身体は地面に横たわり、腕もまともには動かなくなり。
ただただ、口元が「近づくな、近づくな」と、動き続けるだけだ。
それでも、まともに動かない腕で剣を無意味に動かし続け、
やがてそれは弱弱しくなり、
……止まった。
後に残ったのは、かつて騎士団長だった男の「肉塊」としか表現できなくなった姿だけだった。
そんな惨状など、既に無かったかのように。
いや、実際に、フロルの頭にそんな些事はもう無い。
男は殺した。それだけでもう興味を失うに十分だった。
今、彼女の頭を占めるもの。
それはただひとつ。腕の中の女性、グラシェード。
大切な、大切な……。
既に体温すら失われつつあるその身体をなおも掻き抱き続ける。
「グラシェード……。グラシェード……。」
名前を、呼ぶ。
「やくそく……。したじゃない。ずっと、ずっと……。いっしょだ、って。」
つぶやくように、喋りかける。
「目を、目をあけて……。いつものように……わらいかけて。わたしを、だきしめて。あたまを、なでて……。名前を、名前を……。名前を、よんで……。」
かすれるような声だけが、むなしく響き、そして消えていく。
その頬を、しずくが伝う。
次から次へと、あふれ出すように。
そして、そのしずくは、力なく開いていたグラシェードの口に落ちる。
点々と、点々と。
いつしか、雨は止んでいた。まるで、彼女に気を遣っているかのように。
もはや、声も無く。
ただ静かに、涙を流し続けるフロル。
その腕の中。
「……しょっぱい……。」
呟く、声が。
「グラ……シェー……ド……?」
「痛い、よ……。フロル……」
まだ、頭が上手く回らないのだろう。きょとんとした顔で、呟く。
でも。
それが、うれしくて。
でも、信じられなくて。
「グラシェード!グラシェードぉっ」
ただただ、名前を呼び続ける。
「痛い。痛い、って……」
服のトゲが刺さってしまうことなど考えもせず、力強く、抱きしめる。
そこに居ると、実感するために。
もう二度と、離したりしないように。
強く。強く。強く。
「ううん。グラシェードが生き返ってくれた。それだけで、満足だから……。」
予想外に、フロルは即答をした。
「だから、わたし、待つよ。だって、グラシェードはかえってきてくれるから。」
「本当に、ごめんね。フロルには、心配をかけてばかりだけど。」
あれから数日。身体の傷も奇跡的に快復し、私はまた旅に出ることを決めた。
向かう先は、今までと反対方向。
「フロルと一緒に居るためには。根本から解決しなきゃダメなんだ。」
それが、今回の襲撃を経て出した答えだった。
一所に留まり、安心して暮らすためには、それを脅かす不安を取り除かなければならない。
騎士団長が直接、しかもいきなりに殺しにかかってくるくらいだ。
それくらい、私の殺害という任務は優先順位が高いと考えたほうがいいだろう。
つまりは、それほど、「私が逃げ出した理由」が、故郷にとって重いものだということ。
なんとか、周辺諸国のどこかと接触し、圧力を加えることに成功すれば。
「どれだけかかるかはわからないけれど。でも、約束。」
「うん。かならず、帰ってきて。」
フロルから、「おまもり」だと、袋を渡された。
何かの葉っぱで編まれたその袋の中には、フロルの涙が入っている。
フロルが言うには、これのおかげで私が助かったのだそうだ。
眉唾だと思っていた、「アルラウネの涙」。実際に自分が救われてみては、その効力を信じないわけにはいかない。
「それじゃあ、いってきます。」
「いってらっしゃい、グラシェード。」
こうして私は、また旅に出た。
はっきりいって、難しい目標だ。私一人でどこまでやれることか。
だけれども。
その足取りだけは、しっかりとしていた。
グラシェードを見送って。
フロルは、ふと、処刑場の一角を見た。
グラシェードが眠っているうちに、根を使い、こっそりと死体を埋めた。
彼女に、思い出させたくはなかったから。
今は引っ込めていたその場所に、再び根を伸ばそうとして
やめた。
大切な人を殺そうとした人間。
そんな人間の名前なんて、必要ない。