様々な家や店が入り混じり、にぎやかさは無いが、強かな活気がある。
そんな、よくあるような町。
その町を、一人の男が歩いていた。
金髪は短く刈り込み、生真面目な表情だが、その顔にはどこか愛嬌がある。
身長は高く、旅装の上からでもガッチリとした体格がよくわかる。
防具は胸部を覆う深緑の軽鎧だけで、その上から黒い外套を羽織る。
その外套のさらに上からは、彼に良く似合いそうな巨大な剣を背負っている。
よく見る、一般的な旅人、または傭兵といった風体だった。
その男を、呼び止める声がかかる。
切羽詰ったような声に機敏に反応し、旅の男は足を止め振り返った。
見ると、何が起きてそうなったのか、種類も様々な植物に絡まった男が居た。
助けてほしいのか、と思い旅の男が近寄るが、植物に絡まった男は切羽詰った声を戻さずに、叫び続ける。
「旦那!俺のことはいいんだ!彼女を、彼女を助けてやってくれ!あの子は、俺を助けようとしてくれただけなんだ!それが、それが……!」
植物に絡まった男は、なんとか抜け出そうと暴れながらも、叫び続ける。
「あいつら、邪狩りだ!それがなんだって、あんな子を!クソッ!」
邪狩り。人々に危害を加える魔法使い、「邪導師」を殺すことを生業とする者だ。
邪狩りが関わっているということは、この男も邪導師の被害にあったのだろう。
この説明しづらい状況も、そう考えれば簡単に納得できる。
それなのに、この植物に絡まった男は、その邪導師を助けてほしいという。
本来なら疑問だらけのこの場で、旅の男はすぐに首を縦に振る。
「あっちだ!そんなに前じゃねぇ!頼む旦那!」
もがきにもがき、なんとか片腕が自由になると、植物に絡まった男は通りの先を指差す。
それを一瞬だけ見ると、旅の男はすぐに走り出した。
町の中を、ワンピースのスカートを翻しながら必死に走る女が居る。
途中、何度も転びそうになる。
そのたびに、長い銀髪と、それをまとめる蝶の飾りの付いたリボンが踊る。
「はぁっ、はぁっ……、お願いっ!」
走りながら、腰に提げている袋に手を突っ込み、何かを大量に掴み取る。
それを後ろに落とすように投げると、一瞬にして植物が伸び、彼女を追いかける集団の足に絡みつき数人を転ばせた。
しかし、あまりに数が多く、状況はまったく改善されない。
逃げ続けるうちに、いつしか彼女は町を抜け、森の中へと入っていたが、それでもかまわず、ひたすらに森の中を走り続ける。
彼女が走り抜けると、木々は彼女を護るかのようにわずかに身をよじった。
不思議な現象に助けられながら、彼女は必死で逃げ続ける。
だが、所詮は走りなれない女の脚。
どればも進まぬうちに、追跡者たちに追いつかれてしまう。
「なるほど。ここがお前のフィールドというわけか。そこに誘い込んでどうするつもりだ?恐ろしい邪導師め。」
言葉とは裏腹に、余裕に満ちた、嘲りさえ感じる声。
聞こえてきたその声に振り向くと、先頭の男が剣を抜くところだった。
薄く細く、そして長い、奇妙な剣だ。
遅れて到着した、格好もバラバラな集団が、これもバラバラな武器を構える。
当然、男の言うような作戦などない。無我夢中で逃げた先がここだっただけだ。
でも、それももう終わり。一度止まってしまった足はもう動かない。
そもそも、動いたところで、どうせ無駄だろう。
その場に崩れるように座り込み、目を閉じる。
「何をする気だ?恐ろしい。そんなヤツは……」
先頭の男の気配が変わる。素人にも感じるほどの、濃密な殺気。
いよいよ最期。脳裏を、愛する夫と、まだ小さな娘の姿がよぎる。
その頬を、涙が一筋伝う。
が。
「待て!」
野太い声の乱入で。
「なんだテメェ!」「止まれ!」
場の空気全体が、動揺する。
「どけ!」
「ぐぁっ!」
部下たちが為す術も無く蹴散らされてゆく気配に呆れながらも、先頭の男は躊躇うことも無く女に向けて刃を振り下ろそうとした。
が、寸前で半歩身体をずらす。直後、その真横に巨大な剣が突き刺さった。
「……何モンだ?アンタ。悪いが、ヒーロー気取りの出る幕じゃ」
「邪狩りを名乗りながら、何の罪も無い市民を殺して回る集団。お前たちだな?」
邪狩りの男は、突き刺さった剣から距離を取る。
それを追おうとはせず、大剣の男は放心している女の肩を叩く。
「チッ。何のことだかわからんな。オイお前ぇら!いつまで呆けてやがる!」
邪狩りの男の声に反応し、大剣の男を部下たちが取り囲む。
「愚図どもが……。邪導師に逃げられちまったじゃねぇか。」
その包囲よりも早く、正気を取り戻した女は場を離れていた。
あの女はおそらく植物使い。森の中では少数を追わせたところで無駄だ、と判断する。
「で、そこのヒーローサンはどう落とし前つけてくれんだ?」
ジャジャジャキ!と、邪狩りの男の声にあわせて、包囲の全周から、種類も様々な武器が殺気と共に向けられる。
「悪いが、こっちにはアンタを生かして返す理由が無くなっちまってね。」
邪狩りの男は、その特徴的な剣を両手で握り、自分の正面にまっすぐに立てる。
一瞬の静寂。
動いたのは、大剣の男からだった。
彼は即座に身を翻すと、自らを囲っていた包囲に斬りかかる。
「チィ。面白いヤツだ……なっ!」
あっという間に部下が切り崩されるのもかまわずに、大剣の男に斬りかかる。
そこへ、大剣を腕の力だけで強引に叩きつけられるが、わずかに姿勢を崩すだけでかわし、幾筋もの斬撃を放つ。
その攻撃を完全に身を投げ出すことでかわし、飛び込んだ先に居た部下に大剣の腹を叩きつけてなぎ倒す。
大剣の男は包囲を切り崩すことを優先とし、邪狩りの男は部下を使って隙を誘い、攻撃を重ねる。
いくら包囲を切り崩しても、邪狩りの男は巧みに部下を使い、また自分自身でフォローに入り、大剣の男を逃がそうとしない。
元より人数で圧倒的に劣り、さらに実力自体も邪狩りの男のほうが高く、大剣の男はどんどんと追い詰められていった。
「ハッ。残念だったな、ヒーローサンよ。さよならだ。」
大剣の男はもはや傷だらけで、満身創痍となっていた。
その特徴的な大剣は半ばで折れ、残った刃もひどく刃こぼれしている。
それでも戦う意思は消えないようだが、その動きは鈍い。
動きの鈍った大剣の男に止めを刺すべく、邪狩りの男は剣を構える。
が。
『吼えろ!竜の頭!』
凛とした声が響き渡ったかと思うと、この世のものとは思えない恐ろしい音が轟く。
邪狩りの男すら思わず動きを止め、部下の何人かは腰を抜かした。
その場に現れた人物は、漆黒のマントで全身を包み、フードで顔の上半分を隠している。
「……また、乱入かよ。厄日だな。」
新たに現れた人物を見ながら、邪狩りの男は呆れたように呟く。
「私の縄張りでこれ以上暴れるようなら……容赦はしないぞ?」
声からして、女だろう。
女の傍らに浮かぶ、顔だけしかないよくわからない生物が、女の視線に合わせぐるりと回る。
その不釣合いに大きな口からは小さく炎が覗いていた。
「オーケー、わかった。どうせその男ももう死ぬさ。オラ、いつまでへたってやがる」
呆けた部下に蹴りを入れ、倒れた部下を一通り確認し、生存者を確かめる。
「チッ。まだ邪導師が居やがったとはな。退くぞ!」
機敏に去っていく邪狩り達を見届けると、女は大剣の男に顔を向ける。
大剣の男は、いつの間にか膝をつき、地面に突き立てた大剣に身を預けていた。
「すまない。もっと早く、出てこれれば。」
その声に、男の首がかすかに左右に揺れる。
「! よかった、まだ意識はあるのか!」
女は男に駆け寄ると、膝を落とし顔の位置を合わせる。
「私……は、どうなって……います、か?」
「あまり喋るな!……正直言って、好ましくは無い。全身に、ひどい傷がある。」
流石に実力者なのか、あの激しい乱戦の中で致命傷だけは負っていなかった。
だが、それだけだ。全身に無数の傷を負ったとなれば、それは致命傷と変わりはしない。
「彼我の……実力を見切れと、教えられていたのですが。」
生真面目ながらも愛嬌のあるその顔で、弱弱しく笑う。
「どのような手段を使っても、生きて戻れと。命令されていましたが。申し訳……」
「……待て。どんな手段を使っても、と言ったか?」
「はい。それが、隊長の……我が隊の、最優先命令ですので。」
その言葉を聞いて、女の表情が少しだけ険しくなる。
「……外法も外法だが、君を救う手段がある。」
「手段?」
「落ち着け。……そうすれば、君は助かる。助かるが……。」
「かまいません。」
「落ち着けと言っているだろう。人として生を終えたいとは思わないのか?」
「人として……?どういう」
「簡単に言うよ。君を、使い魔にする。」
と、言っても一般人には聞き覚えなど無いだろう。
なぜなら、この技術は……。
「要するに、君を私の操り人形にする。君に魔力を流し込み、その魔力に身体を支配させる。その魔力で君の身体を修復する、というわけだ。」
「かまいません。お願いします。」
ここまで言っても、男は即答した。
「生きて……生きてさえ、いれば。命令は、果たせます。」
「……君も、存外頑固だね。私が、その隊長と敵対するとは思わないのか?」
女の顔が呆れ顔になる。
「貴女なら……、大丈夫です。」
「おいおい、私たちは初対面だぞ。」
思わず笑ってしまうが、さっきよりも男の呼吸が浅くなっていることに気がつく。
「おっと。わかった、君の名前は?」
「レック……ナー。レックナー・ヤミナック。」
「……貴族?いや。かまわないか。私も覚悟を決めたよ。」
すう、と一瞬息を吸うと、女が纏う空気が一変する。
そのまま左手をまっすぐ前に、手のひらを上にして伸ばした。
『血は、肉体の支配者。』
右手の人差し指で、左の手首に線を引く。
『口付けは、心の束縛。』
鋭い痛みと同時に、線に沿って皮膚が裂ける。血が溢れる。
『レックナー・ヤミナック。』
溢れ出た血を、口に含む。
そして、その口を……レックナーのものと重ね、血を流し込む。
喉が動くのを、確認する。
『レナードが、その魂に契約を刻む。』
ビクリと、一瞬だけレックナーの身体が跳ね、力が抜け、倒れこむ。
「レナード様。失礼します。」
声をかけ、扉を開く。
その先はちょっとした広間になっており、その真ん中には一人の女性が居た。
黒く、身体のラインがよく出るドレスに身を包み、長い髪をなびかせながら、女は回っていた。
両腕を大きく広げ、指先から空に赤いラインを残しながら、舞っていた。
その髪は黒に見えるが、光の当たり具合で時々赤く見える、不思議な色合いだ。
扉をくぐった男は、その赤と黒が織り成す幻想的な光景を、直立不動のまま眺める。
やがて男に気が付くと、女は舞うのをやめた。瞬間、残っていた赤いラインが燐を散らせて消える。
「やぁ、レック。声をかけてくれても良かったのに。」
女、レナードの気さくな呼びかけに、男、レックナーは黙って首を横に振る。
「相変わらずだね。もう一年も経つというのに、未だに様付けもやめてくれないんだろう?」
「命令とあらば。」
「それじゃあ意味が無いだろう?まったく。」
いつもと変わらないレックナーの様子に、笑いながら首を振る。
「それで?何かあったのかい?」
「仕事が終わったらレナード様の元へ来るようにと、言われていました。」
「そういえば、そうだったっけね。」
呼びつけておきながら、すっかりと忘れてしまっていたことにまた笑い、すぐに顔を引き締める。
「レック、君は、戦うのは得意だよね?」
あの日、レックナーは大勢を相手にたった一人で立ち回っていた。
結果的に瀕死に陥ったとはいえ、相当な実力者なのは間違いないだろう。
問題は、と言えば……
「はっ、それが……やはり、思い出せません。」
レックナーには、記憶がなかった。
あの日、自分がどこで何をしていたか、に限らず、すべての記憶が。
自分が何者なのか。どういう人生を送ってきたのか。
何故あそこに居たのか。なぜこんなことになったのか。何もかも。
それでも、日常の生活を送る分には問題はなく、常識もあるしこうして会話もできる。
その身体に染み付いた習慣は残っているということだ。
さらには、時々よくわからない夢を見る、とも言っていた。
内容を聞き出す限り、それは過去の光景のようだった。
つまり。レックナーの記憶は完全に消えたわけではない。
ただ、取り出す方法がわからなくなってしまった、というだけなのだろう。
「でも。君は護ってくれるのだろう?私を。」
「当然です!」
即答。これも、彼という存在の生き様だったのだろう。
「レック。君は覚えていなくても、私は……。私は、覚えているよ。」
人差し指をまっすぐ上に立て、中空に向けてくるりと回す。赤い燐光の線が輪を描く。
「あの日の君の戦いを。……あの日の、君の人間としての最期を。だから、私は決めたんだ。」
その中から何かが落下、大理石の床に突き立つ。
「これは……」
それは、柄から鍔、刀身までが透き通った、巨大な剣だった。
「私の、……知り合い、から譲り受けたものさ。」
各パーツには、切れ目、継ぎ目が存在しない。
「水晶の、大剣さ。私にはあまりにも重過ぎて、持つこともできなかったけれど。」
無意識に、レックナーは一歩踏み出していた。
まるで、その剣に吸い込まれるかのように。
「材質は、ただの石に過ぎない。……だが。」
ニヤリと、レナードは笑う。
「魔力を込めれば、鉄も切り裂くだろうさ。」
「魔力、ですか?」
中途半端に前に出た姿勢のレックナーに、笑いかける。
そして、剣を挟んでレックナーの正面に立つ。
「そうだ。かつての君がどうだったかは知らないが、今の君には、私の血が流れている。」
姿勢を正すレックナーに微笑みかけながら、レナードは語る。
「感じるんだ。君の中を巡る、私の血を。君の身体に宿る、私の力を。」
レックナーの左胸に手を当て、語る。
レックナーは目を閉じ、自分の内側に意識を向ける。
脳裏に描くは、先ほどみた光景。舞い踊る、主レナード。
その指先から舞い散る、赤き線。
幾重にも重なり、螺旋を描き、燐を撒きながら散っていく。
黒と赤の、コントラスト。
「そうだ!剣を引き抜け!」
レナードの声に呼応し、目を閉じたまま剣を握り、一息に引き抜く。
ずしりとした重量に目を開けると、目の前には確かに、その剣があった。
だが、さっきと違い、その剣は赤錆色に鈍く輝いていた。
「それが、君の力だ、レック。」
とりあえず、ゆっくりと感覚を取り戻していけばいい。
そう言いながら、レナードはレックナーを連れ家を出た。
レナードはさっきと似たような黒くスマートなワンピースドレスを着ていた。
ただ、先ほどとは違い、右足の側には深くスリットが入っている。
そこから覗く脚は白く細く、その先には不釣合いに無骨な革製のブーツを履いていた。
レックナーは灰色のインナーに黒いズボン、鉄製のレギンスにいつかの軽鎧。
その背中には透き通る巨大な剣が背負われている。
二人は大通りを横切り、路地裏に入り、一見では営業しているかどうかも怪しい酒場へと入る。
「あーら懐かしい顔!まだ日は高いわよ?レナちゃん」
「お久しぶりです、蛇苺さん。」
途端にはじけた、妙に甲高い声。
「あら!あらあらあら!そのコが噂の旦那さん?このコめんどくさいでしょう大変ねぇ?」
蛇苺と呼ばれた妙齢の女性は、レナードの横に居るレックナーを目にした瞬間、その標的を変えた。
「ちょっ、何ですかそれ!どこで聞いたんですか!」
「ささ!座って座って!もうこのコったらやっと紹介してくれる気になったのね!うれしいわちょっと待ってね今取って置きを」
「蛇苺さん!!!」
蛇苺という名の女性はレナードの命令を受けたレックナーに羽交い絞めにされていた。
「あらあらダメよレクちゃんおばちゃんそう言うの嫌いじゃないけど貴方にはレ」
「ほんと、いいから話を聞いてください……。」
疲れ切った声で懇願するレナードを見て、蛇苺はやっとその口を止めた。
小さな丸顔で、黒いロングストレートの髪は両端をひと房ずつ三つ編みにし、後頭部でだんご状にまとめている。
目は大きくややタレ気味で、瞼には淡いブルーのアイシャドーが引かれている。
鼻は少しだけ低く、キツいスカーレットが引かれた唇には魅惑的な厚みがある。
大きな胸を惜しむことなくさらけ出した暗青色の衣装で、逆に脚は同色の広く広がるスカートに完全に隠されている。
先ほど「おばちゃん」と自称してはいたが、年齢を知る者はたぶん居ない。
おせっかい焼きで優しく、おしゃべりが大好き。ただし、周囲を見ない。
それが、この酒場の主、蛇苺という女性だった。
そして。
「飲みに来たわけじゃないのねぇ?それじゃあアッチの方かしら助かるわぁ溜まって溜まって大変なのよ」
蛇苺のもうひとつの顔、それが
「ほら最近戦争だなんだで物騒でしょう?みんな不安なのねぇ」
冒険者に情報交換の場を提供し、冒険者への依頼を斡旋する者
「レック。もう解放していいよ。蛇苺さん、まずは軽いのからお願いします。」
「冒険者ギルド」の窓口だった。
冒険者ギルド。
世界を巡る旅人の中でも、特に目的を持たず流れる者たちのことを、冒険者と呼ぶ。
彼らは基本的に刹那主義で、それ故に日銭に飢えている者が多かった。
その冒険者を相手に、安宿や情報交換の場、食事の提供。
そのほかにも、様々な依頼の仲介も行うのが、冒険者ギルドだ。
腕に覚えはあるが金銭に飢える冒険者。
逆に、悩みはあるが実力が無い、様々な人々。
ギルドはその二者の仲介を行い、双方の問題を解決するのだ。
その存在は凶行に走る冒険者の数を減らし、人々に冒険者への信頼を生む効果もある。
依頼の中には莫大な報酬がかけられたものがあがってくる事もあり、駆け出しからベテランまで、広く利用されている。
もちろん、名前こそ「冒険者」ギルドだが、当然腕に覚えさえあれば、そうでなくても依頼を請けることができる。
「はいこれリストね軽めって言ったから本当に安いのばっかりだけど大丈夫かしらレナちゃんならもっと高くても」
「久しぶりだから、調子を戻そうと思って。レックも本調子じゃないですし。」
「なら仕方ないわねはいそれじゃあこれ割符ねシステムは知ってると思うけど説明は要るかしら?」
「大丈夫、ありがとうございます。」
「そうそれじゃあ頑張ってちゃんと戻ってくるのよ行ってらっしゃい」
「何を請けたのですか?」
酒場を出るなり、レックナーが訊いて来た。
もともとあまり自分から喋りたがる性格ではないのだが、蛇苺の前では殊更に喋っていなかったように思う。
「護衛さ。と言っても、馬車で近くの村に行くだけだし、何も起こらないだろうけどね。」
内容は至って簡単。馬車に一緒に乗り込み、周囲を警戒、何かがあればその排除をする。
よくある輸送業の護衛だ。
戦争自体は事前に布告が出るので、回避は容易だ。
だが、日々生まれては消えてゆく盗賊たちは、居場所のアタリはつけられても、完全に回避することは不可能と言ってもいい。
だからこそ、ちょっとした輸送にでも護衛が必要になってくるというわけだ。
「依頼人はすぐ近くに居ると思うよ。輸送護衛の依頼はそれが通例……っと」
割符……と言って渡された紙を見ながら歩いていたレナードが何かに気づいて小走りに駆ける。
そこには、質素な二頭編成の馬車と、その御者と思しき男が居た。
「冒険者ギルドの紹介です。」
そう言いながら、割符を差し出す。
「おお!こんなにも早く!お医者様もすぐに見つかるし、今日は素晴らしい日だ!」
それを見た御者は、大げさにそう喜んで見せると、すぐに御者台に飛び乗った。
「申し訳ありませんが、すぐにでも戻りたいのです。お二人とも、もう大丈夫ですか?」
「問題ない。すぐに行こう。」
レックナーは御者台に、レナードは客車にそれぞれ乗り込んだ。
ガタガタと走る馬車。その揺れは酷く、かなり急いでいることを感じさせた。
客室には、先客が居た。巨漢と呼んでも差し支えないような男だった。
レックナーも体格はいいが、この男はそんな程度ではない。
御者は確か「お医者様」と言っていたはずだが……。
医者と呼ぶよりは冒険者、あるいは傭兵……または山賊といった風貌の、ガッチリとした男。
薬鞄などは持たず、巨大なボロボロのリュックを傍らに置いているだけだ。
「? 何か?」
「いや……」
レナードの視線に気がついたのか、男が声をかける。
「ずいぶんと、強そうだね。護衛なんて、必要なかったんじゃないのか?」
つい、思っていたままを口走る。
「あ、いや、すまない。気に障っただろうか」
が、男は笑う。太いが静かで、優しい笑い声だった。
「ああ、すみません。ついさっき、御者さんにも言われたから。」
だと思う、と心の中でだけ呟く。
「僕なんて、見掛け倒しですよ。見た目で怯むような相手ならなんとかなっても、戦い慣れた人達には何もできない。」
言いながら、首をすくめて見せる。
正直、戦慣れした騎士相手ならまだしも、山賊程度なら怯むのではないか、と思う。
「なるほど。それで、医者というのは」
「僕は、旅をしながら医者をしているんです。そして、そのすべての記録を」
言いながらリュックを開き、本を一冊取り出して開いてみせた。
「こうして、残している。」
そこには、年齢、体格、症状に始まり、行った対処、結果から周辺の気候に至るまで、事細かに記されていた。
「……もしかして、そのリュックの中身は、すべてそれなのかい?」
「はい。」
にこやかに頷かれた。
目の前にあるものですら、かなりの厚みがある。
男は片手で持ってはいるが、レナードではきっと両手でも苦戦することだろう。
なるほど、この男の体格について、今はじめて納得した気がする。
「あ。すまない、一方的に質問ばかりしてしまって。まだ名前も教えていなかったね」
「いいえ、別に。気にしてはいませんよ。……僕は、ファハフ。」
「レナードだ。短い付き合いだが……」
そのとき、御者台につながる窓が開き、レックナーが顔をのぞかせた。
「レナード様、お医者様。ここで、右に大きく曲がるそうです。その先は、道が悪く酷く揺れるそうなので、ご注意ください。」
「ああ、わかった。ありがとうレック。それと、この方はファハフというそうだ。」
「ファハフ様。レックナーです。」
それだけ言うと、レックナーはすぐに顔を引っ込めた。
無礼、なのではなく、見張りという役割に迅速に戻るためだろう。
「ファハフ様、だなんて呼ばれるの初めてじゃないかな。」
「そういうやつだからね。無愛想ですまない。」
呟く声に、レナードは苦笑いしながら応える。
空が赤く染まるころ、物見櫓が目に入るようになり、続いて家屋と、簡素な柵が見えてくる。
思ったとおり、ここまで来るのに何事もなかった。
山が近いとはいえ、まだまだ騎士団の巡回範囲の中に入る距離だからだ。
さらにもう少し近づくと、簡素な門が開くのが見え、中から何人か男たちが出てくる。
「戻ったか!見つかったんだな!」
先頭にいた青年の叫びに、御者は大きく一度手を振ると、改めて馬を鞭打った。
到着し、馬車が止まるとすぐに取り囲まれる。
そして、馬車から降りるレナードとファハフを見て、大きなどよめきが起きる。
中には、御者に「どっちが医者だ?」と問いかける者も居る。
ひと悶着はあったものの、ファハフがリュックから本を取り出して見せると、すぐに納得し、一軒の家へと案内されていった。
後に残ったのは、レナード、レックナーと、御者の男だった。
「お二人とも、ありがとうございました。」
「いいや。しかし、こう言ってはなんだが、この距離なら護衛も必要なかったんじゃないか」
レナードが冗談めかしてそう言うと、御者はわずかに顔を曇らせた。
「……実は、この近辺に、山賊が棲み付いたようなんですよ。」
「なんだって?」
「行きは全力で突っ切れば、大丈夫でした。街に近づきますから。ですが、帰りは……。」
「領主様には伝えたのか?」
レナードが住む街の領主は評判のいい人物だ。
住民の声に耳を貸し、騎士団を用いて街の周辺への警戒も怠らない。
「街に着いたときに。ですが、すぐには動かせない、との事で……。」
「領主様が?」
「ええ。そういえば、最近は巡回の騎士の方もなかなかいらっしゃりません。」
妙な話だ。レナードがこれまで抱いていたイメージとは、明らかに違っている。
巡回が打ち切りになったというのも気にかかる。
「ギルドへは?」
「無理です。見ての通り小さな村で、今回のお医者様への謝礼の用意と護衛の依頼を出すので精一杯でした。」
と、それまで黙って聞いていたレックナーが口を開く。
「規模は?」
「わかりません。村は柵と物見の増員でなんとか無事ですが、外に出ることができませんので。既に何人か、行方がわからない者も居ます。」
それを聞くと、レックナーはまた黙り込んだ。何かを考え込んでいるようだ。
「助けたいのか?」
この一年で、なんとなくこの男の性質を理解してきたレナードは、やや面白がりながら問いかける。
「はい。ですが、勝算が足りません。」
顔を上げないまま、答える。
「君の力なら山賊くらい余裕ではないのか?」
レナードは、レックナーが大勢を相手に戦っていた姿を思い出す。
同時に、自責の念と、後悔も。
「いいえ。相手の戦力がわかりません。それに、私は周辺の地形も知らない。」
しかし、レックナーはそう答える。
大胆なくせに、意外なほどに注意深く、慎重。
「一番は、勝つこと。勝つこととは、生き残ること。そのためには、まずは情報。」
呟いてから、首をかしげる。
「……私は、どこでこの言葉を?」
レックナーの、過去の片鱗。
レナードも、レックナー本人も知らない過去が、この複雑な男を作り上げている。
夜。月が大きく、綺麗な夜だ。
疲れただろうと、護衛の自分たちにも、空き家があてがわれていた。
しかしレックナーは家には入らず、屋外に居た。
美しい銀の真円の下、屋根の上で直立していた。
彼の両手には、透き通る大剣がしっかりと握られている。
自分の肉体を、客観的に思い描く。
「身に覚えの無い自分の力」を探り当て、肉体のイメージに描き出す。
曰く、魔法とはイメージである。
寝る前に、レナード様に尋ねた。
魔法を上手く扱えない、と。
このままでは貴方を護ることができない、と。
レナード様は、笑いながら答えた。
「難しく考えすぎなんだよ。魔法は、イメージさ」
だが、それが自分には理解ができない。
なのでこうして、とにかく「力の在り処」を探ろうとしている。
護りたい物があるのならば、使えるものは何でも使え。
ふと、「聞いたことも無い」言葉が、頭の中にフラッシュした。
その瞬間に、客観的に描いた肉体、それに重ねた身に覚えの無い力。
それが確かに、「形」を持った気がした。
「何をやってるんですか?」
ふいに声をかけられて、確かに存在した「形」が霧散してしまった。
……大丈夫。霧散はした。が、見失っては居ない。
声に目を向ける。声の主は、ファハフだった。
「終わったのですか?」
「うん。危険な状態でしたが、間に合った。今は穏やかに眠ってますよ。」
聞きながら、剣を背負い、屋根から飛び降りる。
音も無く、ファハフの目の前に着地するが、ファハフは身じろぎひとつしない。
「何をやってたのですか?」
改めて問われる。
「……月を眺めていました。」
嘘をついた。それは、相手にも丸わかりだろう。
「いい月だからね。」
だが、それ以上何も聞かず、相槌を打つだけだ。
「さすがに疲れた。僕が寝る場所はありますか?」
巨大なリュックを背負いなおしながら、大きく伸びをする。
「私と相部屋ですが、あります。」
「そっか。」
とだけ答えて、ファハフは家に入っていった。
部屋に着くと、ファハフはリュックから色とりどりの本をいくつか取り出していった。
そして
『光を。』
とだけ呟き、手元に小さな光を発生させる。
「魔法……」
思わず、呟いてしまった。
「おや、珍しかったですか?このあたりの風習を知らなくて。」
「それは私も、わかりません。」
「そうですか。場所によっては命が危ないらしいし、黙っててくださいね。」
言葉の割にはどうでもよさそうな声でそう言うと、一冊の本を取り出した。
さらにその上に一枚の紙を取り出すと、サラサラと恐ろしい速さでペンを走らせ始めた。
「それは?」
「記録。これが僕の旅の目的ですね。」
話している間にもペンは止まらず、既にギッシリと字で埋め尽くされていた。
「僕が診た症状を、すべて完全に記録に残す。そうすれば、唯一無二の医学書ができあがる。」
もっとも、と付け加える。
「失敗することも多いんですけどね。そういうときは、こんな風に」
リュックから別な一冊を取り出すと、パラパラとめくる。
見せられたページは、赤く縁取られていた。
そして、真ん中に赤く大きな字で「死亡」と書かれている。
「わかりやすく印をつける。これはこれで、次回への糧になります。」
それだけ言うと、また紙にペンを走らせ始めた。
「あ、先に寝ていてくれても構いませんよ。僕も、もうじき終わるし。」
顔も向けずにそう言うと、彼はもうそれ以上一言も喋りはしなくなった。
翌朝。
レックナーが目を覚ましたときには、既に隣のベッドは空になっていた。
当然、あの特徴的な巨体も、さらに特徴的な巨大なリュックもなくなっていた。
先に発ったのだろう。
そう判断すると、レックナーは軽く身支度を整え部屋を出た。
「あ、おはようございます。」
台所に、若い娘が居た。
村長の指示で、朝食を用意しに来たのだそうだ。
「待っててくださいね。すぐに用意できますから。皆さん、もう起きられてますか?」
「レナード様は部屋が別なのでわかりかねます。ファハフ様は……部屋には居られません。」
「えぇ!?」
鍋をかき混ぜるおたまが跳ねる。
「わっ!っとと。来るときにも見なかったし……。お散歩ですかね?」
かき混ぜる手を止め、こちらを振り向く。
まだ幼さの残る顔立ちだ。
「部屋に荷物も残っていませんでした。おそらくですが、既に発たれた後かと。」
「そんな!まだお礼もお渡ししてないのに!」
そんなやり取りをしていると、後ろの扉が開く音がした。
「おふぁよう……。なんだ、騒がしいね。おっ、いいにおいじゃないか。」
見ると、レナードがあくびをしながら入ってくるところだった。
「わわっ、すみません。あ、後で髪を梳かせていただきますね。」
「いいよ、そのくらい自分でやるから。……レック、ファハフは?」
「それが」
起きてからの状況と、自分の予測を、また説明する。
「なるほど。あのリュックまで無いとなると、本当に発ったのかもね。」
どうでも良さそうに呟くと、
「やっぱり、髪でも梳いてもらおうかな。レック、すまないけど、少し席を外してもらえるかな?」
「かしこまりました。少し、散歩でもしてまいりす。」
レナードの目配せの意味を瞬時に理解し、レックナーは外へ出た。
地面は硬く、足跡は簡単には残らない。
軽く周囲を見回し、村には門が一つしかないことを確認する。
しかし、門番に問いかけても、医者を見ては居ないという。
夜番をしていたのは自分で、時世もあり油断はしていなかった、と強く言われた。
とすれば、村の中にまだ居るのだろうか。
そう思い、踵を返しかけたところで
「た、ったたたたたたい、たいへっ……」
息を切らせた狩人が、足元もおろそかに駆け込んできた。
「何事だ!大丈夫か?」
「俺は何とも!でも、それどころじゃない。山に、山に!」
「山賊か!?ついに動いたのか!?」
村人たちは、即座に集会場に集められた。
レナードたちも、腕が立つということで呼ばれた。
女子供も集められており、隠し階段から地下に隠れている。
「お医者様は先に発ったのだな……。無事で居れば良いが」
誰かが呟く。
この場にもファハフの姿は無かった。やはり、先に発ったのだろうか。
「お二人には申し訳ないが、依頼なんて出している暇も無い。どうか、協力してはもらえぬか」
まとめ役らしき、壮年の男の言葉に、レナードは頷く。
「場合が場合だ。この場面で報酬の話をするほど、守銭奴じゃないよ。」
その言葉に、男は深く頭を下げる。
「だが、お医者様に渡すつもりだった謝礼金がある。それを受け取ってくだされ。」
「その話は後でいいよ。まずは、どうなっているのかを教えて欲しい。」
何にせよ、状況がわからないことにはどうしようもない。
狩人から話を聞く。
彼は耳がよく、そのおかげで山賊騒ぎの中でも狩人を続けることができていたのだそうだ。
今日は獲物がなかなか見つからず、おかしいと思いつつも奥地へと踏み込んでいった。
獲物を探し進むうち、彼は人の声を聞いた。
乱暴な言葉遣いの男たちが数人で会話しているようで、皆様々に殺気立っていた。
それが山賊たちの会話である、と気づいた瞬間、彼は一直線に山を駆け下りた。
「よく聞いたわけじゃないが、あの会話は間違いない。あいつらは、絶対に今日中に来るぞ。」
狩人の説明はそれだけだった。はっきり言って、判断材料には弱い。
その後も、様々に情報を交換する。
まず、村には戦える者は居ないということ。
強いて言えば、大工やきこりはやや力があり斧や鎚が使え、狩人なら弓矢が扱える程度。
しかし当然、戦ったことも無ければ、人間を殺したことも無い。
次に、村を護る柵は、斧を使えばものの数分で、剣や素手でも時間をかければ破壊が可能であること。
さらには、馬車の数が少なく、逃げ出すことも不可能に近いことがわかった。
「かなり、厳しいですね。山賊の数は?」
「すみません。すぐに逃げ出したもので……」
「正解だよ。君が殺されていれば、対策どころじゃなかった。」
申し訳なさそうに答える狩人に、レナードは優しく声をかける。
「さて、レック。作戦は思いついた?」
勝算は低いですが、と前置きして、レックは語り始める。
「まずは、何よりも情報。物見の数を増員して、初動の獲得に勤めます。」
「既に何人か向かわせているが、倍に増やそう。」
まとめ役の男が頷き、すぐに指示を出す。
「必要なのは、規模と、方角。後は気づいたときで構いません。」
その指示を受け、何人かの男たちが集会場を飛び出していった。
「私は最も襲来の可能性が高い山側に居ます。あの物見櫓の高さなら飛び降りれますから、すぐに柵の外に出られます。」
透き通った大剣を背負い、立ち上がる。
「弓が扱える者は、私と共に。物見櫓から、矢を射掛けてください。」
何人かが、緊張した面持ちで立ち上がる。
「狙いはつけずとも構いません。適当に射掛けてください。威嚇になれば十分です。」
立ち上がった数人は、なおも緊張した顔のまま頷き、集会場を出て行った。
「やっぱり、君は戦いが得意なようだね。」
「そう、なのでしょうか。」
村を囲う柵の外、並んで山を見据えるレナードとレックナー。
「でも、騎士といった感じじゃなかったなぁ。レックは、腕利きの冒険者だったんじゃないかい?」
レックナーは、レナードから授かった透き通った大剣を見つめながら呟く。
その大剣は、既に赤錆色の輝きを放っていた。
「何と言いますか……。私はいつも、誰かが作戦を立てるのを、横で見ていたような気がするのです。」
「気がする、じゃなくて、見ていたんだよ、きっと。」
愉快そうに、レナードが応える。
こんな事態だというのに、落ち着き払った様子だ。
そしてそれは、レックナーも同じだった。
規模も、勝算も不明な相手から村を護ろうとしているのに、少しの恐れも感じない。
それどころか、少し、懐かしい。
「きっと、そうです。私は、この……戦いという場に、日常的に触れていた。」
剣を握る手に力が篭る。
自分でも知らない「懐かしい感触」に、自然と力が入る。
そして。そのときはやってきた。
「なんだぁ?冒険者でも雇いやがったのか?」
「構うもんか。こんなチンケな村、強いヤツを雇う金なんかあるもんか!」
「ハッ!村人よりはいいモン持ってるだろ。ラッキーだ」
「たった二人だ。楽勝だ。」
山から、十数人の山賊が、姿を現した。
「物見!直ちに周囲の物見と連携!伏兵の可能性を探ってください!」
振り向かずに、叫ぶ。にわかに、背後があわただしくなるのを感じる。
「弓隊!射掛け!当てようとしなくて構いません。ただ撃てばいい!」
叫びながら、自身は剣を構え、突撃する。
たちまちに、突出していた一人を叩き斬る。
「ンだぁてめぇ!」
油断していた先への先制攻撃に、山賊たちは色めきだち、同時に殺気立つ。
しかし、そこへ大量の矢が降り注ぎ、山賊の動きを牽制する。
それにより、山賊たちの動きは一瞬止まり、レックナーはその隙に少しだけ下がる。
が。
「当たりゃしねえ!突っ込め!あのクズを殺せ!」
誰かがそう叫ぶのと同時、野太い叫び声を上げながら、突撃が始まる。
戦術も戦略も存在しない、ただ力と数だけに任せた突撃だった。
その分勢いだけは一級品で、さながら土砂崩れのようだ。
しかし、その全てを、レックナーは真正面から叩き潰す。
振るわれる剣を掻い潜り、投げられる斧を叩き落し。
すれ違いざまに叩き斬り、前に進みながら蹴り飛ばし。
「なんだ、あれ……」
物見櫓からの援護は、既に止んでいた。
レックナーに矢が当たることを危惧した……わけではない。
その魔神が如き戦いぶりに、圧倒されている。
見る間にその数を減らす山賊。
「クソが……!なんなんだコイツは!」
仲間を盾にして攻撃を掻い潜った山賊が、レナードに向けて駆け出す。
「せめて、このアマだけでもッ!」
血走った目でレナードを見、斧を掲げ、走る。
「しまった!レナード様!」
慌てて追おうとするも、複数人に飛び掛られその足を止められてしまう。
「テメェだけでも!ブッ殺ォス!ヒャハハハハハハハ」
正気を失ったその男を、しかしレナードは静かに見据える。
片手を挙げ、人差し指を立て、真っ直ぐに振り下ろす。
その軌跡を辿り、赤い燐が線となり残る。
『黒き大蛇の肋骨』
静かに呟くと、線に厚みが生まれ、纏っていた燐光が散る。
残ったのは、黒い棒だった。長さは地面からレナードの胸ほどまである。
それを手に取り、一度大きく回転させ
「ハァッ!」
気合とともに、一撃。
棒が頭に直撃した山賊は、声も無く崩れ落ちる。
「ふん。私だって、弱くは無いんだ。」
もう一度棒を回転させつつ呟く。その眼は、倒れる山賊を見てはいなかった。
結局。
山賊は、全滅した。
レックナーという、たった一人の男の手によって。
全身を血で真っ赤に塗らしたレックナーを、しかしレナードは微笑みながら出迎える。
「……お疲れ様。頑張りすぎだ、君は。」
「申し訳ありません。レナード様を、危険に曝してしまいました。」
しっかりと剣を背負いなおし、深々と頭を下げる。
そこには、先ほどまで存在していた魔神の面影は存在しない。
レナードは「気にしてないよ」と軽く笑う。
「あれほど警戒していたくせに、一気に突っ込んだね。」
「伏兵の心配が、ほぼ消えましたから。……それと、声が聞こえました。」
「声?」
「はい。何か、鉄板を間に挟んだかのように、不明瞭だったのですが……。」
その声は、こういっていたように聞こえた。
「お前の居場所はそこか?と。その瞬間、何故か、突撃をしなければいけない気になりました。」
「よく、わからないね。きっとそれは、君の戦友の声なんだろうけれど。」
「戦友……というよりも……?」
レックナーは、それきり黙りこんでしまった。
「ま、いいよ。またそのうち思い出すだろう。とにかく村の中に戻ろう。」
村に戻った二人を出迎えたのは、大歓声と感謝の声の嵐だった。
特に、物見櫓に居た面々の興奮が凄まじく、まとめ役の男が止めに入るまで、一歩も歩けなかった。
「本当にありがとう。村を放棄して、それでも生き延びられればマシな方だと思っておったが……」
まとめ役の男は、レックナーの手を取り感謝の意を述べる。
「お二方さえよろしければ、もうしばらくこの村に滞在していってはくれぬか。戦いの疲れも残っておろうし、もちろん、食事も、帰りの馬車も用意しよう。」
その言葉に、レックナーはレナードに視線を向ける。
「気持ちはうれしいが……」
その視線に頷き、レナードが答える。
「私たちは、わけあってなるべく各地を周りたいんだ。」
「そうですか……」
と、見るからに残念がるまとめ役の男に言葉を続ける。
「でも、帰りの馬車はありがたいね。輸送護衛の件、ギルドに報告もしたいし。」
後ろ髪を引かれるような表情のまま、それでもすぐに近場の青年に指示を出す。
その青年の後を、昨日の御者が歩きながら追い始めたあたりで
「あ、あの!」
声がかかる。
「お二人とも、お食事、まだですよね?食べていってください!」
朝に、食事を作っていた娘だ。
村人の壁を必死で掻き分けながら、先頭に出る。
「お急ぎでも、温めなおせばすぐに食べられます。お医者様には食べてもらえなかったけど……恩人に、何のお礼もできないなんてイヤです!」
レックナーの手にすがるようにしがみつき、必死で訴える。
「そういえば、もうお腹ぺこぺこだよ。……構わないだろう?」
レナードが娘の頭に手を置く。
最後の視線はまとめ役の男に向けられていた。まとめ役の男は「もちろんです!」と顔を輝かせながら頷く。
「よかっ……」
よかった、と安堵の息を吐こうとしたところで……娘の膝が崩れる。
安心したことで冷静になってしまい、いまさらながらにレックナーが血と肉片にまみれていることに気がついたのだ。
「ご、ごめんなさ……脚が……」
謝る娘の顔からは、完全に血の気が引いてしまっていた。
何とか立ち上がろうと、脚に力を込めるが、ただ地面を滑るだけだ。
「すまないが、誰か井戸に案内してやってくれないか?レック、洗っておいで。先に行って待ってるよ。」
周りに呼びかけ、娘を抱き上げ、レナードは昨日泊まった家へと向かっていく。
レックナーも、すぐに村人に誘導されていった。
案内された井戸で、レックナーは軽鎧を外す。
無理も無い、とは思う。
全身を血(とそれ以外のモノ)で染め上げたその姿は、今まで何の変哲も無く暮らしてきた娘にはかなり衝撃的だろう。
全身に浴びて尚何も思わない自分は、きっと相当に戦場に慣れていたに違いない。
戦いの中で命を奪うことに抵抗は無く、今も特に躊躇いはない。
が、過去の自分は一体どれだけの命を散らせてきたのだろうか。
ふと、軽鎧を見ながらそう考えたところで……埒が明かないと考えて、水を頭からかぶった。
レックナーが全身から雫を滴らせながら扉をくぐる瞬間に、布が飛んできた。
「やぁ、お帰り。村の人に服をもらったから、適当に着替えておいで。」
「はい、ありがとうございます。」
投げられた布で両手を拭き、指差された先にある服を拾い、今朝起きた部屋へと向かう。
脱いだ服は部屋の窓に引っ掛け、軽鎧をテーブルに置き、木綿製の何の変哲も無い服に袖を通す。
その間、隣の部屋からは食器を運ぶ音と楽しそうな話し声が聞こえ続けている。
レックナーが着替えを終え部屋に戻ると、既に食事の用意は整っていた。
真っ白でとろみがあり、たくさんの野菜が入った見た目にも美味しいシチュー。
スライスされたパンはうっすらと焦げ目がついており、香ばしい匂いを放っている。
付け合せに、食べやすい大きさに切られたチーズもある。
「ところで」
テーブルに座りながら、レナードが口を開く。
「これは、全部君が?」
「はいっ。お口に合えば、いいん、ですが……」
返事だけは元気が良かったが、だんだんと尻すぼみになっていく。
「とてもおいしそうだよ。さ、レック。冷めてしまう前に食べよう。」
はい、といういつもの声を聞きつつ、早速シチューを口に運ぶ。
「うん、おいしい!」
そう言って、レナードが娘に微笑みかける。
「よかったです。」
娘は顔を赤くして鍋の方を向く。
「レナードさんって、……んみたいです……。」
「ん?何か言ったかい?」
「いいえっ。お、おかわりもありますよ、と。」
「そうか。だったら……君も一緒に食べたらどうだい?」
「えぇっ!?」
「さすがに、自分よりも若い子に鍋番させたままじゃ、居心地が悪いよ。」
パンを片手に、笑いながらもう片方の手で娘を招く。
「そ、それじゃあ……。あ、レックナーさん、先にシチュー追加します。」
そそくさとテーブルに寄り、まだ少し中身のある皿を取る。
自分のような小さな娘にも律儀に頭を下げるレックナーに少しドギマギながらも、新たにシチューをよそい、レックナーの前に戻す。そのときにも、また一礼があった。
「では、その、失礼、します。」
続いて自分の皿を食器棚から取り出し、半分ほどよそってテーブルに向かう。
場所は、レナードの隣。
皿をテーブルに置き、両手を胸の前で組み、軽く目を瞑る。
そのまま数秒。娘は静かにその体勢を続け、やがて静かに目を開く。
レナードが、へぇ、と呟く。
「感謝の祈りか。立派だね。」
スプーンに伸ばしかけていた手がピクリと止まり、顔の前で激しく左右に振られる。
「そ、そんな。習慣なだけです。」
この世界で、最大の勢力図を誇る宗教。一般に「協会」とだけ呼ばれるものがある。
今の娘の行動は、その教えの一つだ。
感謝の祈り、と呼ばれるそれは、食事の前と就寝前に行われる。
やることは実に単純で、先ほどの娘のように両手を組み、目を瞑る。
その日、その時間まで自分を生きながらえさせてくれた「何か」に心中で感謝する。
それだけだ。
その対象は両親であったり、恩人であったり、農家や狩人、商人に領主であったりする。
「私にはその習慣が無いからね。レックナーにも。」
レナードもレックナーも、食事の前に何かをするような習慣は持っていない。
レナードはそもそも育て親に教わらなかったし、レックナーもそんなそぶりを見せなかった。
せいぜいが、作った人に直接感謝を述べるくらいだが、普段は自炊なのでそれもほとんど無い。
「今日は、感謝する人がたくさん居ますから、特に念入りに。レナードさんに、レックナーさん。それに、お医者様にも。」
顔を赤くしながらそう説明し、スプーンを手に取る。
レナードとレックナーに一度ずつ頭を下げてから、食べ始める。
穏やかな食事の時間を終え、まとめ役の男に声をかける。
予定よりかなり長く、そして大変な滞在になってしまったが、それももう終わりだ。
「本当に、ありがとうございました。また、いつでもいらしてください。いつでも歓迎いたします。」
たくさんの村人に深々と頭を下げられながら、二人を乗せた馬車は走り出した。
「レック。一つ気になっていたんだ。」
護衛の理由になっていた山賊が全滅した今、護衛は必要ないだろうと、今は二人とも客室に居る。
「君は、戦闘中ずっと剣に魔力を込めていたね。」
今はやや白く濁った透明だが、その剣は魔力を込めれば赤錆色に輝く。魔力を込めているかどうかは、一目見ればわかるのだ。
「あの戦闘中保ったことも驚きなんだが……それじゃ、いつか倒れるよ。」
「倒れる、ですか?」
「そうだ。魔力は体力であり、体力は魔力だからね。君の命を強引につなぎとめたのも、その理屈があるからだよ。」
と言っても、レックナーにはその瞬間の記憶も無いのだが。
ほんの少しだけ、そのことへの不満を思い出しつつ、レナードは説明を続ける。
「とはいえ、説明しなかった私も悪かったんだけどね。いきなり、あんなに魔力を消費する事態になるなんて思ってもなかったから。」
もともと、この依頼はただの腕ならしの予定で、戦闘を行うつもりすらなかったのだ。
本当に、何事も無く戦闘が終わってくれてよかったと、心から思う。
わかっていたことだが、レックナーはかなり無理をしがちだ。
せめて、横に居てやらないと何かあっても間に合わない。
「戻ったら、魔法について軽く説明してあげるよ。と言っても、基礎の基礎くらいだけど。」
魔法は、理屈こそあれ感覚に拠るものがとにかく大きい。
いくら説明を重ねたところで、結局は自分で感覚を掴むことができなければ、使いこなすことはできない。
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。」
深々と頭を下げるレックナー。
レナードは、その頭を一発、指で弾いた。
不思議そうな顔をするレックナーから目を逸らし、後は馬車に揺られるがままになる。
空が赤く染まる頃に、街に到着する。
何度もお礼を言う御者の男と別れ、二人はギルドへと向かった。
時間帯のせいか、はじめて訪れたときとは少し印象の違うその入り口を
くぐろうとした瞬間。何かが激しく転がる音と、ガラスが割れる音が大きく響いた。
一瞬二人で顔を見合わせ、すぐに中へと駆け込む。
「蛇苺さん!」
店の中は酷い有様だった。
ある一点を中心に、何人かのギャラリーが集まっている。
その「ある一点」ではテーブルやイスが散乱し、中には脚が折れているものもある。
さらにはそこに混じってコップの破片まで見える。
その先には蛇苺が立っており、その反対側には冒険者風の男が倒れていた。
「あらあらごめんなさいあんまりしつこいものだから旦那の亡霊が怒っちゃったみたい」
その目は柔和に細められており、口元はにこやかに曲げられている。
この惨状さえなければ、何かものすごくいいことがあった、と思われる。そんな笑顔だ。
だが、この惨状の中では、その笑顔はわけのわからない恐怖へと変貌する。
その証拠に、倒れていた男は立ち上がるのもそこそこに、転がるように逃げていった。
「へ、蛇苺……さん?」
呆気に取られながらも、なんとか蛇苺に声をかけるレナード。
その声を皮切りに、蛇苺からは恐怖の笑顔が消え、ギャラリーからは爆笑が起きる。
呆気に取られているレナードに、別の冒険者の男が近づいて説明する。
「あのヘタレ、あろうことか口説いたんだよ。蛇苺を。」
その一言で、大体の察しがついた。
蛇苺は、未亡人だ。
この街に流れ着いてくる前に、人生を共にすると誓った男性が居たらしい。
だが、何があったのかは語らないが、とにかくその男性は死んだ。
この街に着たばかりの蛇苺は、今にも死んでしまいそうな雰囲気だったことを、レナードも覚えている。
それが、ものの数日でその雰囲気を消し去り、あっという間に店を持ち、冒険者ギルドを開設したのだ。
その変貌振りは、却って不安になるほどだった。
が、その後数年間も何事も無く、彼女はずっと同じ「蛇苺」であり続けた。
「蛇苺さんを怒らせるなんて……。どれだけ粘ったんだい?」
「ちっげーよ。あのヘタレ、よりにもよって『そんな男の事くらい忘れさせてやる』って言いやがったんだよ。ヘタレの癖に勇気あるよなぁ?俺なんか恐ろしくて絶対言えねぇぜ」
蛇苺は、それからもずっと、亡き夫に操を立て続けている。
その美貌故、初期の頃はなんとか口説こうとする男が数多く居たのだが……それも最近は居なくなっていた。
「おぉ、くわばらくわばら。おう、蛇苺。酒くれよ。高いのでいいぜ。面白い肴があったからな」
言うだけ言うと、その冒険者の男はカウンターへと歩いていった。
「くわ……なんだって?」
男の口から出た謎の言葉に首をかしげる。
が、自分も蛇苺に用事があったことを思い出し、冒険者の男の後に続いた。
「あーら毎度ありがとう本当に高いの開けちゃうわようふふふ」
その言葉通り、パッケージだけでも高級品とわかりそうな瓶を、これまた高そうなグラスに注ぐ。
「はいどうぞお待たせレナちゃん思ったより遅かったじゃないひょっとして観光かしら?」
男にそっけなくグラスを渡すと、蛇苺はすぐにこちらを向く。
「うーん、ちょっと色々あって。はい、私の割符と御者さんの割符。」
「ちょっと見せてねうんうんちゃんとサインもあるわねおめでとう依頼完了よはいこれ報酬ねもうずっとカウンターに置いてたんだから」
皮袋を取り出し、口を開く。
中身をレナードと一緒に確認し、また口を縛りレナードに渡す。
「そうそうレナちゃん大変なんだから見てこの依頼」
急に、少しだけ真剣な顔に変わる蛇苺。
隣で上機嫌で飲んでいた冒険者の男も、やや険しい顔つきになった。
見せられたのはいつものリストではなく、たった一枚だけが貼り付けられた板だった。
「依頼って言うよりも宣伝ね明日にはそこの壁に貼る予定だから別にしてるんだけどねいよいよ来たわねって感じよ」
蛇苺の表情を変えさせ、ギルド内でも特別な扱いがされる依頼。
そこにあったのは、村で感じた疑問を解消させるものだった。
「傭兵……募集?まさか、戦争でもする気なの?」
上質な紙に書かれていた内容は、傭兵を募集するというものだった。
最後尾には、領主の署名と、紋章が記されている。
「レナちゃんが出かけたちょうどすぐ後に来たのよ詳しい布告は明日するみたいだけど間違いないそうよそれで冒険者を雇って戦力の増強をしたいみたい」
騎士団の巡回が途絶えていたのはこのせいだったに違いない。
以前から可能性があり、それに備えていたのか。
「冒険者は任意だけどみんな参加するでしょうねぇこういったものは報酬が大きいし数がいればいるほど安全で確実になるものね」
困ったわぁまた溜まっちゃう、とため息をつく蛇苺。
「それとレナちゃんには直接召集がかかると思うわよレナちゃんは領民で魔法使いだもの間違いないと思って良いわ」
「う。やっぱりですか……。」
「ほらほら情けない顔しないのレクちゃんが見てるわよ貴女は本当は強いんだからもっと自信を持ちなさい」
「レックは関係ないでしょ、今……。ま、仕方ないね。レック、急いで帰るよ。開戦までに基礎くらいは覚えないと。」
はい、と姿勢を正すレックナーを伴い、そそくさと店を出る。
「……なんだ、あのアベック。」
「主従らしいわよ本人が言うにはだけど」
「主従、ねぇ。」
空のコップを台に置くと、すかさず次が注がれた。
「さっきも言ったが……過剰な魔力の精製は、命を縮めることになる。だから、簡単にでも知っておいてほしい。」
屋敷に着くと、テーブルを挟んでレックナーが淹れた紅茶を前に、レナードからの講義が始まった。
「魔力は、体力から……端的に言えば、血から、だな。作り出すんだ。」
遠い昔に。ある魔法使いが発見した、魔力の法則。
「君でもさすがに覚えているんじゃないか?『最初の魔王』ミフェレッサ・グルディアスを。」
レックナーが頷く。
「協会の開祖、ヴィールスール・アルグナンの弟子であり親友にして裏切り者。人類最大の敵、ですね。」
「そうだ。」
さすがにこれは、「常識」として記憶に残っていたようだ。
元々は、優れた魔法使いにして魔法研究者だったという、ミフェレッサ・グルディアス。
彼は師であり友でもあるヴィールスールと共に、日夜研究に励んでいた。
が、ある日を皮切りに、彼は人間を狩り始める。
「その最初の魔王が発見した法則こそが、魔力の精製法なんだ。」
全ての魔力の源が血であると発見した彼は、他者から血を奪うことで自らの力にする方法を発見。
途方も無い数の人間を犠牲とし、力を求め始めた。
「結局、彼はヴィールスールに討伐されるわけだが……そこは協会の領分だし、割愛するよ。」
重要なのは、彼が発見した法則。血と魔力の関係だった。
行いこそは最悪だが、彼の研究は魔法の基礎として、後の世に残ることとなった。
「そうだね……。イメージは、この紅茶かな。」
口元へ運ぼうとしていたカップを止め、テーブルに置く。
「例えば、この紅茶が血だとする。この場合、熱するという精製法を受けて、湯気という魔力へと変換されている。」
レックナーの視線が紅茶へと向いていることを確認する。
「さて、ここで問題だ。もしもこの紅茶をそのまま熱し続けた場合、どうなる?」
「沸き立ちます。」
即答。
「悪くないね。でも違うよ。」
この場合、沸いてる状態というのはつまり魔力の精製を行っているという状態のままだ。
つまり、精製を続ければどうなるか。
「答えは、減っていく、だよ。もちろん、紅茶……つまり血がね。」
そして、血が無くなれば……この先は、さすがに説明する必要も無いだろう。
レックナーは、レナードの想像をはるかに超えて魔力の精製が上手い。
「あの時」には、魔力の気配など微塵も感じなかったにも関わらず、だ。
だがしかし、それは必ずしもいいこととは限らない。
コントロールの仕方も、必要な量も、扱い方さえ知らないままで、天性のセンスのみに任せて精製を続ければ、一瞬にして干上がってしまうことだろう。
優れた魔法使いは、ごく少量の血から莫大な魔力を生み出す。逆に、ただ作り出すだけでは、無駄に血を消耗することにしかならない。
ましてや。
「今の君は、魔力の使い道といえば剣に切れ味を持たせるだけだ。それなのに、多量の魔力を精製し続けるのはハッキリ言って無駄でしかない。」
「無駄、ですか。」
「そうだ。魔力量によって切れ味をさらに増すこともできるだろうが……それでも、たいした量は必要ないからね。」
「必要な場面を想定すること、必要な量を知ること、正確にコントロールすること。以上が課題でしょうか。」
「概ねは……そうかな。あとは経験と勘、それと思い付きかな。理屈はあっても、理屈が全てじゃない。面倒なもんだよ。」
それが、魔法の研究が遅々として進まない理由だった。
「そもそも、魔法の使い方は千差万別。同じ火を起こすだけでも、百人居れば百通りあると思ってくれていい。師弟、親子ですら違いが出るものなんだ。」
ふう、と一息ついて、紅茶を口に含む。
……血の例えに紅茶なんか使うんじゃなかった。
「さて。それじゃあ次は魔法の使い方の説明に入ろう。と言っても何度も言うけど、結局は個人に拠る。そのことを忘れないように。」
はい、という返事に一つ頷く。
「まずは魔法を構成するもの。詠唱、魔方陣、想像力。」
「詠唱、魔方陣、想像力。」
「そうだ。例えば、さっき言った例で、火を起こしたいとする。」
言うと、立ち上がり、テーブルから一歩下がる。
手のひらを上に向け、『炎よ』と呟くと、その手のひらの上に一瞬だけ火が現れる。
「見えたか?まずは詠唱。声に魔力を乗せ、大気中の魔素を震わせる。」
魔力を乗せる、と言っても難しいことは無い。魔力を精製し、「魔法を使いたい」という気持ちで詠唱すればそれでいい。
「このときの言葉は正直に言えば何だっていい。祈りの言葉であったり、世の中には数字の羅列で発動させる変り種すら居るらしいからね。」
聞いたことはあっても、想像もつかないが、と続ける。
「とはいえ、三番目、想像力に強く関わってくるから、結局ほとんどの魔法使いは、関係のある言葉を使う。例えば、今私は、炎よ、と言ったんだよ。」
レックナーの顔色を伺う。真剣な眼差しと目が合う。
「……だが、これはこれで問題がある。自分がどんな魔法を使うか、相手に丸わかりな点だ。ほとんどの魔法使いは、これに古代語を使うことで誤魔化している。」
「古代語というと……かつて使われていた言語ですね。統一言語になる前の。」
「そうだ。今でこそほぼ一つの言語にまとめられては居るが……かつては一つの国に一つの言語、と言っても差し支えないほどの数があったらしい。」
その時代の人々は、一体どうやってコミュニケーションを取っていたというのだろうか。陸続きの隣国とすら言葉が通じないなんて、想像もつかない。
「それだけの数があれば、単純なカムフラージュはできるというわけだ。ま、この件については割愛……というより、私じゃ詳しい話は無理だ。論点もずれるしね。」
こほん、と一回咳払いを挟む。
「さて、次だ。魔方陣だね。」
テーブルに戻り、一枚の紙を置く。そこには複雑な図形が描かれていた。
「これが魔方陣だ。魔法を発生させる場所を固定するのに用いる。厳密には、相性のいいパターンがあり、あらかじめ自分が使う魔法に合わせて用意しておく。今回は適当だけどね。」
これは魔法の中でも特に研究が進んでいる分野であり、大まかにパターンの方向性は解明されている。
何の知識も無くても、ちょっとした図書館で「魔方陣基本図解」を借りてくれば、最適とまでは行かずとも十分な効果を発揮させる陣が描けるほどだ。
ちなみに、何の陣も用意せずに詠唱をした場合は、声の発生源である自分を中心に発生するそうだ。
つまり、炎を呼べば自分が燃え上がり、竜巻を呼べば自分が八つ裂きとなる、らしい。
「最近では、この魔方陣を描くのも魔法でやってしまう技術がある。」
「スクール」所属の「魔法図書館」の異名で呼ばれる魔法使いが、「詠唱による魔方陣の描画」という技術を開発した。
今では魔法使いの大半がこの方式を取り入れている。
長所はあらかじめ魔方陣を用意、設置する必要が無くなること。特に、自由な位置に好きなように配置できるのは強力だ。
短所は事前の準備が不可能で、詠唱も伸びてしまうこと。とはいえ目の前で魔方陣を書き直すことに比べればはるかに短いわけではあるが。
「尤も、私は陣特化の魔法使いだから、この手段は使えないんだけどね。」
レナードの魔法は、簡単に言えば「絵の具現化」だ。
指先に集めた魔力で中空に線を引き、絵を描く。その絵が精巧であればあるほど、強力なものになる。
「君が魔法を使う場合、最も可能性が高いのが、この陣特化だろうと思う。君の魔力は、私のものだからね。」
ほぼ同じものか、それに順ずるものとなる可能性が高い。
必ずそう、とは言えないものの、やはり血の力は大きい。
「いい機会だから説明しようか。この三要素はそれぞれ、扱い次第で効果の増減を操作することができる。」
詠唱特化は、非常に長い詠唱を行い効果を高める。
詠唱を長く続けることで反応させる魔素の量、範囲を増やすのだ。
最もわかりやすく単純で、威力を伸ばそうとする場合まず最初に試行されるのがこの方法になる。
「もちろん、どの方法にも弱点はある。詠唱特化の場合の弱点はわかるかな?」
「隙、でしょうか。」
またも即答。聞きながら、自分なりに理論を組み立てているのだろう。
「悪くない。確かに、それもある。」
詠唱が長引けば、当然隙は大きくなる。でも、それは弱点というほど致命的ではなく、そして陣特化にも言えることなのだ。
「暴発の危険性が他よりやや大きいこと。これが一番だね。」
詠唱を行っている間は魔素が反応しっぱなしだ。量も莫大なものになる。
それを押さえ込んでおける技量が無ければ、最悪自分を中心としたクレーターを生むハメになってしまう。
「次は陣特化だ。より精巧な陣を描き、術との親和性を高め、さらにはブーストを図る。」
こちらは突発では効果を発揮させづらく、研究による開拓が必要だ。
逆に言えば、研究が必要である分最も研究が進んだ分野になった、というわけだ。
「さて、この陣特化の弱点はわかるかい?」
「脆さ、でしょうか。先ほど言っていた詠唱による描画では、精密な図形が描けないのでは?」
ほう、と、我知らず息がもれる。
「よくわかったね。もちろん、詠唱を複雑化すればその分精密な図形が描けるわけだが……それじゃあただの劣化詠唱特化だね。」
「強い魔法を使いたければ魔方陣はあらかじめ設置しておく必要があります。もしこれを破壊されてしまった場合、時間をかけて作り出した魔方陣が完全に無駄になってしまいます。」
「素晴らしい。故に、戦場ではまず最初に魔方陣の探索から入る場合が多い。これらの理由から、研究されこそすれ、特化しようなんて魔法使いはまず居ない。」
ちなみに、と付け加える。
「私は陣特化とはいえ、別に陣を描くわけじゃない。描いたものをそのまま形にするわけだから、想像力特化との複合と言うべきかもね。」
もちろん、精巧に描けば描くほど効果が上昇する点は同じではある。
イメージをどれだけ正確に描き出せるかに拠るあたり、想像力寄りであると言ったほうがいいのかも知れない。
「最後は、さっきも言ったね。想像力特化。三種類の中で一番解明されていない分野だ。」
とはいえ、それも当然。想像力とは表に出てこないものだ。
頭の中にしか存在しないものを、どうやって研究しろというのだ、という話である。
「要は、魔法のイメージを脳内でとにかく鮮明に描く。それが鮮明であれば鮮明であるほど効果を増し、あるいは詠唱と陣を簡略にすることができるのではないか、という考え方だ。」
一部では、詠唱も陣もこの想像力を高める手伝いをするためにある、という考え方も存在するらしい。
ちなみに魔法や技に名前をつけるのは、この考え方に拠るところが大きい。
「これの弱点は単純明快。とにかく揺らぎやすいことだ。相手次第では、ちょっと驚かせるだけで効果を発揮する。」
人の脳内はとても揺らぎやすいものだ。特に、魔法の妨害をしたい場合は、一瞬だけでも揺らがせれば十分であることが多い。
有名な話では、鬨の声一つで魔法隊一つを無力化した人物が居る。
獅子轟咆と呼ばれた実在した人物で、好んで語られる英雄譚の一つになっている。
実は、絵本化されたものが、この屋敷にもいくつかある。
ふう、と一息ついて、すっかり冷めてしまった紅茶を一気に飲み干す。
「ここまで一気に説明したけど、君はコントロールからだね。まずは浪費をしないところからだ。」
「はい。ありがとうございました。」
立ち上がり、椅子を片付けてからの一礼。
慣れてきたとはいえ、未だに苦笑いをしてしまう。
数日後、領主の館。その大広間。
そこには、領主の持つ騎士団と、街に住む実力者たちが集められていた。
蛇苺に言われたとおり、レナードもそこに呼ばれていた。
壇上に現れた領主自身によって、今回の戦争の概略が説明されている。
「ここより南にある街、マルフィーより布告状が届いた。日時は今日より六日後の昼。場所は南西にある平原だ。」
それに続いて、戦力や立会人など、布告状に書かれている情報が述べられていく。
「こちらの立会人は同盟関係にあるブメオスに立ってもらう。……マルフィーは近年、従神徒に染まってきたと聞いてはいたが……、本当だったようだな。」
以前より不穏な空気が流れていた、と説明する。
近隣への見回りが減ったのは、この事態を見据えてのことだったのだろう。
先日にマルフィー領主との会談があったようで、その場で魔法使い(彼らは邪導師と呼んでいたそうだが)の明け渡しを迫ってきたのだそうだ。
当然領主はこれを拒否、すると翌日にはこの布告状が届いたのだという。
「時間はそう無いが、現在冒険者ギルドへ依頼し、腕の立つものを集めている。我らが騎士も居る。だが、戦争に絶対というものは無い。そこで、諸君らにも街を助けていただきたいのだ。」
その言葉に、集められたほぼ全員が頷いた。
レナードは、頷けなかった。
しかし領主は、その大多数の頷きに満足し、演説を続ける。
「力のある者は直接戦場に立ってほしい。資金のある者は、支援をしてほしい。私は、領民を護らねばならない。諸君らには、その力になってほしいのだ。」
結果として、レナードも参加することとなっていた。
元より断るつもりは毛頭無かったし、相手が従神徒となればなおさら負けるわけにはいかず、参加のほかに道などなかった。
従神徒。
ほんの数十年前に「協会」から分離した一派だ。
だが、同じくヴィールスールを開祖と呼びながらもその教義は協会とかけ離れており、もはやまったく別の宗教となっている。
この世界を作ったのは「神」という存在であり、すべての生物はこの神の物である。
ヴィールスールですら、世を正すために使わされた使途に過ぎない。
そして。
魔法とは、世の理を乱し、崩し、壊す邪法である。
故に、全ての魔法使いは邪悪であり、神の世界を穢す悪魔の手先である。
故に、世界の平穏のために、全ての邪悪を導く者を抹殺せねばならない。
従神徒が最も厄介であり、同時に最も勢力を伸ばす要因となった教義が、それだ。
領主のように、魔法使いを受け入れる人も、まだまだ多いものの……。
魔法は、扱えない者にしてみれば、意味不明で、恐怖でしかない。従神徒がどんどんと勢力を増していることが、その証拠だった。
「作戦は単純明快。言ってしまえば、通例どおりだ。」
引き続き、今は騎士団長から大まかな作戦の説明が行われている。
名をヨフィエルと言い、背は高くは無いが、非常に体格がいい男だ。
彼の言う通例とは、多くの戦場で用いられる戦法のことだ。
遠距離から、魔法使いが強力な魔法をぶつけ合い、その後に近接戦闘が得意な者がぶつかり合う。ただ、それだけだ。
「魔法合戦には、集団詠唱を使う。リーダーはザッカだ。」
名前を呼ばれ、男が一人前に進み出て礼をする。
「得意属性は炎。皆には炎か、または風に属する魔法の詠唱をお願いする。」
「炎だって!?」
突然響いたその声に、誰もが振り返る。その視線の先にはレナードが居た。
「あ……、いや、すまない。」
ばつの悪そうなその顔を見て、団長は言葉を付け加える。
「もちろん、他属性を専攻している者も居るだろう。その者達には、単発による威嚇や防護壁の作成を行ってもらう。」
レナードはそれに納得した風なアクションを取り、それを見た者たちもそれぞれに頷きながら視線を前に戻す。
「ここで決着がつけば良いが……無論、これで決まったような前例は存在しない。そうすれば、次だ。」
その言葉に、今度は先ほどとは別な集団が頷く。
弓や剣、鈍器など武器を使った戦闘を得意とする者たちだ。
「まずは弓などの遠距離攻撃による牽制と、援護。そして、近距離戦闘を得意とする者による、突撃だ。」
そこまで喋り、団長は「さて」と一息つく。
それを合図として、一人の小柄な少年……おそらく、見習い騎士が前に歩み出る。
その腕には巨大な羊皮紙が丸めて抱かれていた。
「これが奴らが戦場に指定してきた平原の概略図だ。」
さらに脇から進み出てきた数人の少年たちが、大広間の壁に広げながら貼り付けていく。
完全に広げられた概略図はとにかく大きく、高さはレナードの身長の1.5倍近くある。
その概略図には、地形の高さや茂みや岩の位置などが事細かに記されていた。
「この先が我々の街に繋がる方角で、こっちが……」
指差しながら、説明を再開する騎士団長。
その団長の指示を追って、赤や青、黒のプレートを貼り付けていく少年たち。
梯子があっちへこっちへと急がしそうに移動する。
「ここの岩は想像以上に大きい。何人かなら隠れることも可能だ。」
「団長殿……ありがとうございます。少し質問が。そこの黒いプレートなのですが……」
「おい、そこに兵を伏せられてたらどうするんだ」
途中から、集められた各人からの質問や提案も混ざり始め、概略図は急速に埋まっていく。
時には既に張られていたプレートを払い落とし、時には幾重にも重ね。
気がつくと、既に日が落ちた後だった。
「貴重な意見、感謝する。……当日には、当然のようにこの通りに運ぶとは思わないが……それでも、この議論は無駄にはならない。決して、だ。」
団長の〆の言葉を受け、三々五々に解散をする。
今後は、常に作戦本部を設け、常時出入りが可能になるらしい。
参加者の士気は例外なく高く、今後もこの作戦本部が静まることはないだろう。
……だが。
「はぁ……。なんで皆、あんなにやる気なんだろう。」
屋敷に着くなり、レナードは大きなため息をついた。
「自分の住む街を護るためだからではないでしょうか。」
「いや、それは判る。わかっているんだ。」
対し、レックナーはぶれない。あれほどの大立ち回りを演じた男だ。戦争……いや、殺し合いに対する引け目など、無いのだろう。
「私たちが戦い、勝たねば、もっと多くの人々が不幸になる。何しろ相手はあの従神徒だ。少なくとも、魔法使いは不幸になるのが約束されている。」
そんなこと位は判っている。そして、自分には戦う力が……護る力があることも、知っている。
だが、それでも。
「私は、戦うことが怖いんだ。誰かを傷つけることが怖いんだ。誰かに傷つけられることが怖いんだ。誰かが傷つくことが怖いんだ。誰かが死ぬことが、怖いんだ。」
自分が誰かを殺す瞬間を。自分が殺される瞬間を。大切な誰かが、殺される瞬間を。
考えるだけで、身体が震える。
「レナード様……」
「なんで、戦争なんてするんだろうな」
無意識に、口から漏れるように呟いたその言葉に、返事は無い。
訪れた沈黙に、自分たちが玄関に立ったまま向かい合うという、間抜けな姿だったことを思い出す。
それを自覚すると、途端に冷静になってしまい、自分がどんな醜態を曝してしまったのかも自覚してしまう。
「はは、何言ってんだろ。忘れてく」
「逃げましょうか。」
「は?」
頭をかきながら顔を背けようとして、動きが止まる。
「戦争が嫌なら、逃げましょう。」
「な、何を言ってるんだ。そんなこと、できるわけないだろう?」
「何故です?」
「な、何故って……」
真顔で訊き返されてしまい、思わず考えてしまう。
何故、自分は今回の戦争から逃げようとしないのか。
「ここは、私の故郷だから。生まれたわけじゃ無いけど……それでも、私たちを受け入れてくれて、長く過ごした場所。故郷だから。」
だから、逃げたくない。
「大丈夫、大丈夫……。あの村の時だって、私はあの場に居られたんだ。」
山賊と戦ったときのことを思い出す。
あの時だって、内心は怖くて怖くて仕方が無かった。
思い出すだけで、身体が震えはじめる。
あそこには、死しかなかった。
レックナーが、次々と山賊を殺し。
レックナーを殺そうとしていた刃が、自分に向いた。
そして、自分の身を護るために、相手を殺した。
それでも、立っていられたのは。目を逸らさずに居られたのは。
「レックナー。私から、絶対に、離れるなよ。」
そう、私があの場に留まっていられたのは。
この男が、心配だったからだ。
私が、この男を死の運命から引き剥がした。私には、この男の人生について、責任がある。
この男は、放っておくとどんな無茶をやるかわからない。魔力の込め方がいい例だ。
だからこそ、敵を殺すのが嫌だからと、目を背けるわけにはいかない。
自分の身が危険だからと、離れるわけにはいかないんだ。
「命令、承りました。元より、この命はレナード様をお護りするためのもの。」
的外れも甚だしい返事。
だけれど、不思議と、身体の震えは止まっていた。
それはきっと、この男が頼もしいからだ。
この男は、絵本に出てくる騎士様のように、「主」である私を、文字通り命に代えて護るだろう。
どれだけ困難であろうと、きっとこの男は私を護ってくれるだろうから。
だけれど、私は、絵本に出てくるお姫様ではない。
私には、戦う力がある。いつだって隣に立っていられるだけの力があるんだ。
だから。
「覚悟、できたよ。戦争に出る。私も、お前を護る。命なんて賭けさせない。」
「しかし」
「命令しただろう?絶対に私から離れるなと。」
私は、レックナーを護る。レックナーは、私を護る。
きっとそれが、最も完璧な形なのだと思う。
そして。
出立の前夜。
蛇苺の酒場は、かつて無いほどににぎわっていた。
冒険者たちの大半は、刹那主義である。
そんな彼らが、戦争という大イベントを前に、おとなしくしているわけがなかった。
「おぉいママ!肉が足りねーぞ!」
「店主ー!酒まだッスかー!?」
一生分を食いだめしようとでも言うのか、とにかく飲み食いに集中する者。
「あァ!?もっぺん言ってみろや若造がッ!」
「何度だって言ったラァ!鈍重なおじいちゃまはオレの後ろに隠れてろツッたんだよ!!」
戦争を前に昂ぶり、喧嘩に発展する者。
「そーれ!おーっれたっちゃ無敵の!」
「ギャーハハハ!そっれゆっけリーダー!」
声高に歌い、笑う者。
店内は活気と混沌に満ち溢れ、異様な雰囲気に満ちている。
そんな一角。
追加の注文を終え、やれやれといった顔でカウンター内に戻った蛇苺と、いつもの場所でマイペースに酒をあおる冒険者の男。
その隣に、青い顔をしてコップを抱える若い男が居た。
「皆さん、すごいですね。僕なんて、怖くて怖くて仕方ないのに……」
いかにも駆け出し、といった感じの若い男に、蛇苺が微笑む。
「みんな怖いのよ当然よ殺し合いをするんですものそれでも前に進まなきゃいけないからああやって騒いでいるのわかる?」
「へっへっへっ。自分達は勝つ。勝って当然。そう思わにゃやってられんわな。」
グイ、とコップの中身を干すとすぐに追加が注がれた。冒険者の男は一瞬だけ苦笑いをすると、すぐに硬貨を取り出し、蛇苺に放り投げる。
「若ぇの、怖がるのは悪いこっちゃねぇ。怖いと思うなら、しっかりと見て、学んできな。」
「は、はい。そうさせてもらいます。……相手は、従神徒、なんですよね。」
「そうさな。」
「魔法使いを迫害する勢力。なら、魔法使いを多く揃えるこちら側が有利なんでしょうか?」
「おいおい、作戦会議を聞いてなかったのか」
「す、すみません。近づきづらくて……」
恐縮して縮こまる若い男に、冒険者の男はため息をつく。
「情報は宝よぉ冒険者続けるなら覚えておきなさいそのためのギルドなんだしね」
さらにおびえた様な顔になる若い男に、蛇苺がフォローを入れる。
「あいつらにも、魔法使いは居るのさ。当たり前さな、一大戦力を捨てて戦争しようなんざ正気の沙汰じゃねぇ。」
尤も、彼らは魔法使いなどとは呼ばず、当然邪導師とも呼びはしない。
「神官。神とやらの力を借りて、奇跡を実現する力を持つ者、だそうだ。」
「何か、違うんですか?」
「何も?都合の悪い魔法使いは邪悪の手先として殺し、恭順を示せば神官として祭り上げられる。それだけの違いだ。」
「あらあらごめんなさい追加注文受けちゃった私はちょっと失礼するわね」
突然に蛇苺が立ち上がったので、少しだけ会話が途切れる。
「……つまりは、従神徒が相手とは言え、普通の戦争と変わらないってことですか?」
「まぁ、そうさなぁ。負けた相手の皆殺しなんて古今良くあるこったしな。」
皆殺し、という言葉を聴いて若い男が震え上がる。
「いい反応だ。誰か、死なせたくないヤツでも思い出したか?それが、力になる。忘れんじゃねぇ。」
大きくコップを傾け、半分以上残っていた酒を一気に流し込む。
コップと、その横に硬貨を数枚置いて、冒険者の男は立ち上がった。
「遅れて現地集合でも別に構やしねぇだろうが、会議に出てないお前さんは早めに集合したほうがいいだろうな。」
最後にそう言い残し、冒険者の男はギルドを出て行った。
「世話好きねぇ年取った証拠でしょうに」
いつの間に戻ってきたのか、コップと硬貨を片付けながら、蛇苺が呟く。
同時刻、レナードの屋敷。
食事を終えたレナードは、席を立たずにそのまま、ぼんやりと座っていた。
ぼんやりしつつも右手だけを動かし続け、何かを描きかけては、慌てたようにかき消す。その動作を何度も繰り返していた。
食器の片づけを全て終えたレックナーは、何も言わず立ったまま、そんな主を見守り続ける。
見続けるうちに、描こうとしているものが何なのか、なんとなく判りかけてきていた。
だが、それが何なのか、思い当たる前にまたかき消されてしまう。
もしもレックナーに記憶があれば、それが何なのかすぐに判ったのだろうか。
一瞬だけそう考えてしまい、考えても無駄だと頭を振る。
記憶の無い、レナードの僕たる自分。それが今のレックナーであり、今の真実なのだ。もしも、は存在しない。
「レナード様。明日は朝のうちに集合し、行軍、待機の予定です。行軍も短くは無く、待機中に何か無いとも限りません。本日は休むことを推奨いたします。」
普段、自分から進言するようなことのないレックナーだが、流石に声をかける。
「っ!……ん?ああ、レックナーか。……そうだね、そうしよう。」
肩がビクリと震え、動きが止まり、そして安心したように息を抜くと、気の無い声で返事をする。
生気の無い動きで席を立つと、何も言わずレックナーの横を通り過ぎ、部屋へと向かった。
正直に言って、レナードを戦場へ連れて行くことには、レックナーは反対だった。
あの約束があるとはいえ、主を戦場に伴うなど、するべきではない。
そうでなくとも、今のレナードは考えるまでも無く変だ。
戦争が、戦うことが、傷つけることが、嫌いだと言っていた。
だが、それだけではない。
さらに根深い何かが、レナードを捕らえているように、見える。
その正体が何であるにせよ、一瞬の油断が……いや、油断せずとも死に繋がるような場所へ、出てもいい状態ではない。
それでも。
レナードはそれを望み、レックナーは主と約束をした。
本当に、何が起こってもいいように。
自分の全てを賭けて、主を護ると。
そう決意を新たにし、レックナーも自室へと向かった。
「本日は快晴である!良いか皆の者!我らが戦うは何のためぞ!」
故郷に勝利を!家族に!友に!安寧を!
「敵は強い!それでも我ら!!」
引きはせぬ!
翌日。指定された時間にはもう、騎士団は集合、整列し、シュプレヒコールの真っ最中だった。
その大音声を目印に、次々と冒険者……傭兵が集まってくる。
統一された鎧を身に着ける騎士たちとは対照的に、一切の統一感が無い。
そんな彼らに、コールを終えた騎士見習いの少年達が腕章を配って回る。
乱戦になった時用の、目印というわけだ。
「よう。レナード嬢ちゃんに、レックナーだっけか。」
いつもギルドで酒を飲んでいた冒険者の男が、レナードとレックナーを見つけ近寄ってくる。
「あ、えーと……フィアーさん。」
「おいおい、ひでぇな。」
名前を思い出すのに戸惑われ、苦笑いをする。
「ま、俺もあんま名乗らねぇしな。四番で恐怖のフィアーだ。アンタの前で名乗るのは初めてだな?」
「レックナーです。よろしくお願いします。」
深々と頭を下げるレックナーに、フィアーは笑う。
レナードはいつものスリットの入ったドレス、レックナーはいつもの軽鎧。
そしてフィアーは、よれよれの旅装だけ。
フィアーはレナードと同じくらいの軽装だった。
その腰には、どこかで見たことのある薄く細い剣が、長短二本、鞘に収められて固定されている。
「お、そろそろ動くみたいだな。ま、一つよろしく頼むぜ。」
挨拶を交わすうちに騎士団長ヨフィエルの演説は終わったらしく、先頭の騎士団が移動を始めた。
それと同時にファンファーレが鳴り響き、住民達の大歓声がそれに続く。
行軍は、先頭と最後尾に騎士団、間を傭兵団が歩く。
別に傭兵団を見張ろう、というわけではなく、道案内のために挟み込んでいるのだ。
大人数のためゆっくりとした行軍になったが、予定通り、空が赤らむ少し前に平原に到着する。
柵やテントなどが張られ、見るからに野営地だとわかる。
先行する部隊に迎えられた騎士団・傭兵団は予めの指示通りのテントへ移動し、さらにリーダー格の者たちが真ん中の大きなテントへ集まる。
「さて。いよいよ開戦まで、半日を切った。最終ミーティングを開始する。」
テントの中央には巨大なテーブルが置かれ、いつかの羊皮紙が広げられていた。
団長が口で説明しつつ、周辺の騎士見習いの少年達がプレートを置いていく。
敵の野営地はちょうどここから正反対の端のようだ。
開始時刻は翌日の午前中、立会い人の角笛が合図となる。
斥候に探らせてはいるものの、敵戦力は未だに不明。
先発隊が到着するよりも早くテントがあり、ごく少数が出入りした以外は、誰も出入りをしていないという。
また、近辺に罠や魔方陣の類は発見されず、少なくとも敵側に近づくまでは何も無いらしい。
「わざわざ布告状を送り、『儀礼』に則った戦争を仕掛けてきた相手だ。心配は無いと思うが、夜襲にも十分気をつけるように。」
様々な報告や、作戦や合図の変更、確認を行った後に、騎士団長はそう締めくくる。
あたりはもう暗くなり始めているが、リーダー達は各々のテントに戻り、さらに自分の部下や仲間達とミーティングを行う。
「レナード様。」
「やぁ、レック。異常無いかい?」
深夜。
かがり火の傍に立ち、見張りを行っていたレックナーに、レナードが声をかける。
「はい、異常ありません。レナード様に見張りの任は無いはずですが。」
「意地悪を言うなよ……。眠れないんだ。」
眠そうな眼をこすりながら、レックナーの横に座る。
レックナーは少し迷ったが、立ったまま見張りを続けることにした。
「明日に支障を来たします。」
「わかっている。すぐに、戻るさ。」
言いながらもぞもぞと体勢を変え、膝を抱え込む。
かがり火をぼんやりと見上げ、ため息をつく。
それきり何も言わない主人に気を配りつつ、レックナーは周囲に視線をめぐらせる。
「なあ。」
「はい。」
長い沈黙の後に、レナードがぽつりと呟く。
「約束、忘れてないよな。」
「当然です。」
「置いていこうなんて思うなよ?」
「心得ております。」
「下がれなんて言うなよ?」
「敗北が決定的になるまでは。」
「負けるなんて言うなよ。」
「申し訳ありません。」
眠そうな声での呟きと、声は小さいものの、はきはきとした返答。
「護ってくれよ。」
「命に代え……いえ、私の力、全てをかけて。」
珍しく言い直されたその言葉に、ふふっ、と笑う。
「記憶、見つけような。」
「はい。」
「旅をしよう。」
「はい。」
「私と……い……に……」
「レナード様?」
最後の言葉は、まったく聞き取れなかった。
不審に思い視線を移すと、レナードは膝に頭を預け、寝息を立てていた。
レックナーはいくらか迷ったが、タイミングよく見張りの交代時間になったようだった。
不審そうな顔をする相手に後を任せ、レナードを抱えてテントに戻る。
翌朝。
騎士見習いの少年達が支給の朝食を持って各テントを巡るが、どのテントでも、例外なく全員が眼を覚ましていた。
それぞれ気合を入れたり、武器の手入れをしたり、ストレッチをしたりと仕度をしている。
朝食を終えると、野営地の出口へ集合する。
騎士団長の最後の号令を受け、配置へ。
騎士団は四隊に別れ、ヨフィエル率いる主力が中心に。二人の副長率いる二隊はそれぞれ左右へと分かれ、傭兵団は右翼、左翼の間を埋める形で散らばる。
そして集団詠唱の使い手であるザッカ率いる魔法隊は、魔法が得意な傭兵達を引き連れ、後方に配置。
遥か遠方には、敵方、マルフィーの軍勢が見える。
流石にこの距離では陣容までは把握できないが、あちらも準備は整ったようだ。
そして、角笛が鳴り響く。
一番に動いたのは、ザッカだった。
『姿を現せ混沌の壷。其は全てを食らい混ぜ合わせる。当に混沌の具現なり』
あらん限りの声で叫ぶ。
思い浮かべるのは巨大な壷。
中空に徐々に浮かび上がる魔方陣も、壷の形がモチーフとなっている。
見慣れた壷の形が完成するのを確認し、騎士団長は叫ぶ。
「集団詠唱、開始!」
『赤く輝く終末の使者!』『お願い炎!私の敵を焼き尽くして!』『炎を!炎を炎を炎を!』
『速く疾き旅人よ!その刃を我が力に!』『そなたの道を遮る物は何も無い!』
号令と同時に、待機していた大勢の魔法使いがいっせいに詠唱を始める。
言語も詠唱体系もまったく違う集団が同時に詠唱を行うため、その場は混沌を極めた。
詠唱に伴い、魔方陣は出現しない。ザッカが作り出した魔方陣を自分の魔方陣に見立てるのだ。
誰かの魔法が完成するたびに、宙に浮かぶ壷が輝きを放つ。
後方で魔素が渦巻くのを感じながら、レックナーは眼前を見据える。
今はまだ、自分が動く時ではない。
超大規模な集団詠唱に巻き込まれないため、また敵の牽制射撃に備えるため、近接戦闘要員はまだ動けない。
その代わり、周辺のあちこちで、巨大な盾を数人がかりで掲げるのが見える。
さらに、自分よりもやや後方から、たくさんの矢や雷や礫、光弾が飛び出してゆく。
盾を描き、維持に集中するレナードを見、何もできない自分を歯がゆく思う。
しかしだからといって、以前みたいに飛び出すわけにも行かず、また視線を敵陣に移して
ぞくっ、と、寒気がした。
突然のことに、一瞬呆けてしまう。
その寒気が勘違いではなかったと証明するかのように、敵が動き出した。
遠眼にもわかるその陣容は、全てが重装歩兵。くすんだ赤色の全身鎧を身に纏った集団だ。
手には槍。ただの槍ではなく、ハンマーと斧が備え付けられた多機能槍、いわゆるハルバード。
反対の手には盾。やや大型で、鎧と同じくすんだ赤色の盾。
まったく同じデザインの装備を身につけた重装歩兵の集団が、進軍を開始した。
ここが戦場ではなく、競技場ではないのかと勘違いするほど厳かに、一糸乱れぬ動きで行進をしている。
ざわざわざわと、何かを言っているのは聞こえるが、鬨の声のような勇ましいものではなさそうだ。
突然、その背後から黒い何かが湧き上がる。
煙のようなその全てが矢である、と理解するのと同時に、「矢だ!防御しろ!」と叫び声が聞こえる。
さほど間隔を置かず、雨あられと矢が降り注いでくる。
幸いなことに悲鳴は一つも聞こえてこないが、横で盾を生み出すレナードの顔は苦しそうだ。相当な衝撃だったのだろう。
「レナード様、大丈夫ですか?」
「当然だ。」
ごくごく短い返答。だが、本人が大丈夫と言う以上信じるしかない。
ここは戦場だ。敵の進軍は遅く、未だ距離があるとはいえ意識を散らすわけにはいかない。
それにしても、敵の作戦が読めない。
レックナーは、この場に臨む前に一通りは戦争について勉強してきた。
「通例」と呼ぶとおり、開戦直後の大火力のぶつけ合いは、もはや慣習と言っていい頻度で用いられてきた。
敵方にも魔法使いは居るはずで、今回もそうなるものと思っていたのだが、そうではないらしい。
そう考える理由は単純で、「敵が前進している」という一点に拠る。
大火力、つまりは広範囲に甚大な被害を及ぼすことが目的の魔法を使う場合、距離を詰めれば詰めるほど、味方を巻き込む危険性が高まる。
故に、最初の応酬が終わるまでは、牽制と防御だけを行い、進軍はしないのだ。
そう考える間に、また敵の背後で矢の塊が湧き上がる。
牽制と呼ぶには異常な量のその矢も、大火力と呼ぶにはあまりにも弱い。
今回もまた、悲鳴が上がるようなことは無かった。
それならば、何故敵は前進をするのか。
まさか、戦争を知らない、というわけはないだろう。記憶の無いレックナーですら、少し調べるだけで大体の戦い方は知ることができる。
集団詠唱を使わせないことが目的か?と思い当たり、しかしそれも無いと否定する。
そのあまりの強力さのため、目的地点が近ければ、味方を巻き込む危険が出てきて、詠唱を中止せざるを得ないかもしれない。
だが、それにしてはあまりにも遅い。
確実に近づきつつあるものの、まだまだ遠く、どれだけ強力な魔法を打ち込んだところでこちらが巻き込まれるとは思えない。
意図が読めず、不安が頭をよぎる。
その耳に、ついに敵軍のざわめきが耳に入る。
「神の敵に死を」「神の敵に死を」「神の敵に死を」「神の敵に死を」
わずかのズレもなく、完璧に合唱されるその言葉に、再び肌が粟立つ。
自分達が対峙している相手は、本当に人間なのだろうか。
そんな、馬鹿馬鹿しい考えが、思わず浮かびそうになる。
その思考をさえぎるように
「総員!衝撃に備えろ!!」
という、ヨフィエルの叫び声と
『完成。混沌は形を持った。飛べよ破壊の壷。砕けよ戒めの壷。蹂躙せよ、荒れ狂う炎の嵐』
集団詠唱の完成、発動を知らせるザッカの詠唱が戦場に響き渡り
閃光と熱気、荒れ狂う熱風が戦場を包み込んだ。
凄まじい熱風に耐えながらなんとか眼を凝らすと、真っ赤な竜巻が見えた。
これが、集団詠唱の威力。
人間では太刀打ちができるとも思えない圧倒的な暴力に、敵軍はなす術も無く飲み込まれた。
相殺するような魔法も、防ぐための魔法障壁も準備しているように見えなかった。
この炎の竜巻が消える頃には、敵軍は影すらも残らないだろう。
「まるで、集団自殺じゃないか……」
誰かが呟く声が聞こえた。
しかし、終わっていなかった。
暴れ狂う真っ赤な竜巻。その中に、影が見えた。
地面に線を引く黒い影は、最初はこげた草か何かだと思った。
しかし、その影は徐々に高さを増し、人影のように見えて
竜巻が消えた。
轟々と響いていた風の音は止み、代わりに
「神の敵に死を」「神の敵に死を」「神の敵に死を」「神の敵に死を」「神の敵に死を」
不気味な大合唱があたりを埋める。
一箇所として欠けること無く、眼前を埋めるくすんだ赤色の壁。
整然と行進していたその集団が、今は槍を前に倒し、突撃の構えだ。
「げ、迎撃体勢!急げ!」
慌てたような声が戦場を埋める。
戦闘は、近接戦闘へと移行した。
混乱は一瞬。
周辺に居る誰よりも早く、レックナーは剣を構える。その剣は既に赤錆色に輝いている。
突出してはいけない。これだけの統率の取れた突撃。飛び出せば、一瞬で死ぬ。
だが、下がっていてもいけない。未だ混乱が大きく、少しでも敵に綻びを作らねば、容易く食い破られる。
左右をチラリと見ると、騎士団は流石なもので、既に対突撃の構えを取っている。
対し、統率の弱い傭兵部隊はまちまちで、体制を整えられていない者も散見できる。
あれだけの攻撃を、無傷で突破されたのだ。混乱しないほうがおかしい。
しかしそうだとしても、やはり正規兵と傭兵、あるいはルーキーとベテランの差は大きく開いていた。
「レナード様、援護をお願いします。」
「ああ。死なないでくれ、レック。」
一言だけ言葉を交わし、激突が始まった。
他より数歩だけ前に飛び出し、大剣で大きくなぎ払……おうとする。
しかし、魔力で切れ味を増していたはずの大剣は、盾にあっさりと受け止められる。
それを武器の重さと腕力だけでなんとか振りぬくと、今度は真上から叩き付ける。
しかしそれもまた、兜で防がれ、仕方なく力任せに振り抜いた。
「レック!」
鋭い叫びと共に、真横を下から上に、黒い影が通り過ぎる。
レナードが振るった黒い棒が、突き出された槍をカチ上げる。
大きく隙ができた敵に、大剣を斜め下から振り上げて叩き付ける。
「嫌な予感がする。何なんだ、これは」
横に並んだレナードが嫌そうな顔をして呟く。手に持つ棒が、心なしか短いような気がした。
状況は、端的に言って劣勢だった。
最初の突撃を防げなかった箇所が少なくなく、取り囲まれているグループが多い。
後方から魔法の援護があるものの、くすんだ赤色の重装歩兵は防御行動を取ろうとすらしない。
炎が全身を包んでも、雷が直撃しても、真空の刃を受け止めても、動きが止まることすらない。
数と勢いで劣勢な状態では満足な反撃も行われず、目に見える勢いで瓦解していく。
その様を冷静に観察しつつ、ヨフィエルは決断する。
「後退するぞ!余力のある者は奮戦せよ!」
彼の左右に控えていた、武器を持たない二人の男が左右へと飛ぶように消えていく。
さらに、ヨフィエルは自分の背後に控えていた男に声をかける。
「我々の負けだ。一足先に街に戻り、領主様に報告を。」
男が駆け出していくのを確認し、ヨフィエルは手に持っていたメイスを握り締める。
「一人でも多く生かすのだ!無駄死には許さん!」
気合いと共に叫び、乱戦の中に身を投じる。
転倒した傭兵にトドメをさそうとしていた敵の頭を兜ごと叩き割り、そこから横に振り一人を吹き飛ばす。
「立て!生きて帰るぞ!」
声だけをかけるが、すぐに別の場所へと向かう。
今は、たった一人の人間にかまけている場合ではない。あれだけして助からないなら、最初から無理だったというものだ。
一人でも多くの敵を叩きのめし、一人でも多くの味方を助ける。
そのためには、あれが精一杯だ。
「いつまで寝てやがる!護るモンがあるんだろうが!」
再び襲い掛かるマルフィー兵の鎧の隙間に、薄く長い剣が突き刺さる。
フィアーはそれを素早く引き抜き、倒れたままの若い男の腕を引っ張る。
「団長がせっかく助けてくれたんだ!無駄にするんじゃねぇ!」
本人に起き上がる意思が無いのだろう、やたらと重い腕をなおも引っ張りつつ、叫ぶ。
「くそ!とんだ意気地なしめ……。てめぇみたいなヤツは戦わなくてもいい!邪魔だから後ろにすっこんでろ!」
その間にも襲い掛かってくる敵を、最小限の動きでいなす。
回避されてバランスを崩したところに蹴りを放ち、転倒させる。
「おい!そこのヤツ!このバカを連れてってくれ!」
加勢に来た別の傭兵に、若い男を託す。
「お前も若ぇじゃねえか……。いいか、こんなつまらないところで命を散らすな!必死で逃げろ、いいな!?」
青ざめた顔ながらしっかりと頷くその傭兵に、よし、と大きく頷き返す。
「最後尾は年寄りの仕事ってな。さっさといけ!ったく……。酒が飲みたくて仕方ねぇ」
ぼやきながら自らの剣を大きく一振りし、フィアーは騎士団長の後を追う。
「レック。聞いてくれ」
「はっ」
激しい戦闘の中、レックナーの返事は短い。
構わずに、レナードは続ける。
「時間を稼いでくれ。私も魔法を使う。」
「お待ちください、それはあまりにも危険です!」
赤錆色に輝く大剣を振り回しつつ、叫ぶ。
「正体は未だ不明、しかしおそらく、あの防具は魔法を完全に防ぐものです!」
あの巨大な炎の竜巻の中を平然と前進し、単発の援護魔法を受けても動じず、レックナーの剣から切れ味を無効化した。
完全なる対魔法鎧、レックナーはそう確信していた。
「わかっている。だが、即座に消してしまえるわけではないようだ。」
対するレナードも、何かを掴んだようだった。
主が、可能だと言っている。
それならば、レックナーに否定する理由は無い。
「如何ほど稼げばよろしいでしょうか。」
「正直、わからない。可能な限り長く、だ。」
「かしこまりました。」
あまりにも無茶な注文。それでもレックナーは即答する。
任せたぞ、と呟き、レナードは後方に下がった。
誰も居ない空間を確保し、右腕を掲げ、正面に伸ばす。
『お絵かきを始めましょう。』
指先に、紅い光が灯る。
『楽しい楽しいお絵かきを。』
少女の遊び歌のように詠唱しつつ、右腕を動かし、空間に線を引き始める。
「おいアンタ、何やってんだ!早く逃げるぞ!」
そんなレナードを見咎め、逃げるように促す傭兵も居たが、その全てを無視する。
集中をしなければならない。
レナードの魔法は、どれだけ強くイメージできるかと、どれだけ精巧に描けるかにかかっている。
そのためには、全ての雑音を遮断して、集中をする必要がある。
戦場の喧騒。自分を心配する傭兵の声。どこかの誰かの悲鳴。
その全てが、無視するべき雑音でしかない。
『大きな身体は強さの証。何もかもを押し潰す、暴虐の象徴。』
イメージは、既にある。鮮明に。
この人生の中で、一瞬として忘れたことは無い、あの姿。
忘れようと閉じ込めていた、心の奥底の封印を解き放つ。
切り裂くことはできずとも、叩き潰すことはできる。
この巨大な水晶剣は、魔力によって切れ味だけではなく耐久力も上がるようだ。
何の遠慮もすることなく、叩き付ける。
その戦いぶりが悪目立ちしたせいか、こちらに向かってくる敵兵の数が増えつつある。
それでも、一歩も引きはしない。
主が、時間を稼げと言った。
ならば自分は、例え丸一日であろうと、敵を通しはしない。
その信念を胸に孤軍奮闘を続けていると、敵の攻撃が少しだけ緩まったことに気がつく。
数自体は減っていない。むしろ、すべての戦力をこちらに集中したのかと思うほどに、増えている。
それでも、襲い掛かってくる敵の数は減っていた。
答えは、すぐ近くにあった。
騎士や傭兵の、傷の比較的浅い者達が、自分に並び戦ってくれていた。
数こそ多くは無いものの、そのおかげで、敵の戦力が分散されている。
「後退は騎士団長の旦那がやってくれてる。で、お前は何だってまだ残ってんだ?」
「時間稼ぎです。」
声だけでフィアーだと判断し、顔を向けずに回答する。
分散されているとはいえ、未だに数の絶対的不利は変わっていない。
「それはわかるが」
シッ!と鋭い呼吸音。次いで一瞬の金属音。
あの全身鎧が、中の人間ごと真っ二つに切り裂かれて崩れ落ちる。
「粗方後退は終わってるぞ。こんな突出する必要もねぇだろ?」
振り下ろされる槍を大剣を振り上げて弾き飛ばし、そこから大剣を振り下ろす。
鈍い音と共に、敵が地面にめり込む。
「レナード様に打開の策があるようです。」
「ははぁん。なるほどな。期待できるのか?」
「不明。ですが、私は信じます。」
「おいおい。もう俺たちも乗っかってんだぞ。」
フィアーが苦笑する気配を感じつつ、向かってきた敵兵を押し返す。
「しゃーねぇ、戻ってきちまった以上もうどうしようもねぇ。命預けんぞ。」
そこから先は、もう会話も無い。
レックナーは今まで同様最前線で敵の大半を引き付け、フィアーはあちこちを動き回り、押され気味の部分のフォローをする。
戦線を押し返すことはできないが、押されることは無くなった。
あとは、レナードの魔法が完成するのを待つだけだ。
そう考えた瞬間。
唐突に、目の前が真っ暗になった。
誰かが泣く声がする。
なぜだかわからないが、泣いているという確信は持てる。
その声がひどく気にかかり、声がする方向へ手を伸ばそうとする。
しかし、動かない。
不思議に思い自分の身体を見てみようとするが、自分の身体がどこにあるのかわからない。
「……。」
何かを言おうとしたつもりだが、声は出なかった。口が動いたような気もしない。
どこから聞こえてくるのだろう。
いや、そもそも、ここはどこなのだろう。
自分はどうなっているのだろう?
……自分は何だ?
視界が揺らぐ。
何も無い世界が、ぐにゃりと歪んだ。
……あぁ、なんだか、とても心地いい。
揺らぎ続けるこの世界に、身を預けよう。
「……い、おい!……の、……カ!」
また、誰かの泣く声が聞こえる。
口の中に、何かの味が広がった。
懐かしいような、親しんだような、不思議な味がする。
途端、世界の揺らぎが止まった。
自分、そうだ、自分だ。
自分の、私の、私の名前は……レックナー・ヤミナック。
レナード様の、僕。
この命は自分のものではない。
勝手に手放していい物では、無い。
「……!……」
誰かの泣く声が聞こえる。
お待ちください、レナード様。今、目覚めます。
だから
「泣かないで……ください。レナード様。」
「レッ……ク……」
眼を開く。瞼がひどく重かった。
身体を起こそうとすると、すぐに肩を押さえられる。
「バカ、動くな!……良かった、どうなることかと……」
赤く輝く黒髪が目の前で揺れる。その奥に、疲れきったような眼が見える。
「申し訳ありません、状況がよく……」
「魔力の使いすぎだ。君は五日間、昏睡していた。」
「魔力の……。申し訳ありません。気をつけろと言われておりましたが」
「いや、あれは私が悪い。君は、よく持ちこたえてくれたよ。」
レナードは眼を伏せて頭を振り、肩を押さえていた手を離す。
顔だけを起こしてみる。あたり全てが真っ白い。状況から考えて、医院か、救護室か。
「戦いは、どうなりましたか?」
「勝ったよ。私の魔法で逆転した。」
勝った、とは言うものの、レナードの表情は暗い。
「団長殿に、怒られたよ。なぜもっと早く使わなかった、と。お前は彼らを見殺しにしたんだぞ、とね。」
「そんな!」
「いいんだ。」
思わず叫びそうになったレックナーを手と言葉で制すと、レナードは弱く笑った。
「団長の言うとおりさ。手段があるのに使わなかったのは私だ。そこにどんな理由があれ、ね。」
戦争が終わり、街へと引き上げてきた。
レナードが街へと入るなり、騎士団長に掴みかかられる。
「貴様……!あれだけの力を、何故もっと早く使わなかった!」
静かな声で、しかし重く、怒鳴る。
ヨフィエルの両手はぶるぶると震えており、唇からは血が流れていた。
「お、おいおい、団長さんよ。勝利の立役者相手にそれはねぇだろ。」
「黙っていろ。そのくらいわかっている。」
慌てて止めに入るフィアーを睨みつけて牽制し、またレナードを睨む。
「だが、だがな。俺が言わねば、誰が言うのだ!貴様がもっと早く力を振るっていれば、彼らは死ぬ必要がなかったんだ。」
この戦争では、騎士団から約二割、傭兵からは約四割もの死者が出ていた。
もちろん、レナードの詠唱を護り続けた者たちからも、多数の死者が出ている。
「……だが、勝利は勝利だ。貴様が魔法を使わねば、死者は倍以上に膨らんでいたやもしれん。」
レナードから手を離すと、一歩後ろに下がる。
「それどころではない。街は奴らに蹂躙され、戦う力の無い、平和を望む魔法使いまでもが殺されていた。」
そして、跪いた。儀礼用の、最敬礼の形。
「非礼を詫びよう、英雄殿。貴女のおかげで、我々は……我が街は救われた。」
「……怨まれて、当然なんだ。私は勝手な理由で、皆を見殺しにした。」
レックナーには、レナードの纏う陰がよりいっそう濃さを増したように見えた。
「それに、レック。もっと早くに決着がつけば、君が倒れることもなかっただろう。」
「レナード様。ご自分を責められないでください。」
「いいや。そんなわけに」
「レナード様。街を出ましょう。」
唐突に切り替わった話に、レナードは言葉を飲み込む。
そして、レックナーが身体を起こそうとしているのに気が付き、慌てて顔を起こす。
「戦争はひとまず終わりました。街を離れ、落ち着きましょう。」
「な、な、な何を急に言い出すんだ」
肩を押して寝かそうとするが、レックナーはびくともしない。
そのまま、身体を起こそうとするばかりか、ベッドから降りようとする。
「お、おいバカ!目覚めたばかりで無茶をするな!」
「これしき……!」
ふらつく身体を、気力だけで立たせる。
大丈夫、歩ける。きっと走れる。戦い、護ることができる。
「行きましょう。私の記憶を探しに。約束してくださったはずです。」
「うっ……。そ、そうだな。約束、だもんな。」
何故そこまでこだわるのかはわからないが、記憶探しの旅は元々レナードの提案だ。
それを盾にすれば、強引だが押し切れると踏んでいた。
主に対し、あまりにも不敬が過ぎるのだが、これも主のためと自分を納得させた。
「へぇ、それで旅に出るってのかい」
「えー困っちゃうわまた溜まっちゃうじゃない誰が処理するのよ」
「わわっ!レナードさんにレックナーさん!」
レックナーの快復報告も兼ねて、蛇苺の酒場に顔を出す。
いつものようにカウンターで酒をあおるフィアーと、その相手をする蛇苺。
そして今日は、フィアーの横に若い男が座っていた。
「おいおい、俺だってやってんだろうがよ。こいつだって手伝うつってるしな。」
「は、はい!師匠ほど上手くやれませんが、頑張ります!」
「誰が師匠だ意気地なし」
「下手な優しさなんか見せるからよ自業自得よ責任取りなさい後進の指導もロートルの仕事でしょ」
数日顔を出していない間に、ずいぶんと状況が変わったようだ。
三人の会話についていけずどうするか迷っていると、蛇苺がこちらに顔を向けた。
「この人ね戦場でこの子助けたのよええとお名前何だったかしらそうそうクアトロちゃんだったわねそれからすっかり惚れ込んじゃってこの有様なの面白いわよ」
「へ、へぇ。そうだったんですか。あの戦場で助けるなんてすごいじゃないですか。」
「そうなんです!あの意気地なしの僕に決別したくて!教えを乞いたいんです!」
「目の前で殺されそうになってて無視できるわけねぇだろ!」
騒がしい。
蛇苺は元々おしゃべりだったが、フィアーはどちらかというと静かに飲むほうが好きなはずだ。
それなのに、見たことも無いような笑顔で、楽しそうに酒を飲んでいる。
「近くまでくれば顔を出します。……故郷ですし。そのときにでも、お手伝いします。」
なんとなく輪に入っていけず、レナードはそれだけを伝え、酒場を出た。
領主には、既に挨拶は済ませてある。
褒章の一切を辞退し、代わりに旅の許可を貰ったのだ。
最大の戦力が二人そろって抜けることに最初は難色を示していたが、最後には許可をくれた。
一応、非常時には力を貸して貰いたい、とは言われたので、動向の調査と連絡等をギルドを通して受け取れるよう、蛇苺に依頼した。
騎士団長とすれ違った際にレックナーが剣呑な気配を放っていたのは、きっと気のせいだろう。
騎士団の中には、あの時傭兵として共に戦った者たちの顔もいくらか見えた。
あの戦争から、色々な物が変わり、動いている。
きっと、自分も動き出す時なのだろう。そう思えば、もう旅立ちへの迷いは無い。
いつもの旅装を纏い、二人は街を出る。
「レナード様。まずはどこへ向かいましょう。」
「南は従神徒の勢力が強いからね。レックは邪狩りと敵対していたから、まずは北へ向かってみよう。」
「かしこまりました。それでは、参りましょう。」
「ああ。よろしく頼むよ、レック。」
レックナーの記憶を探すため。レナードの心を癒すため。
二人は今、歩みを始める。