2ndDay


「チカちゃん、大丈夫……?」
「うん、平気……。」
 と言ったものの、ミーには通用しなかったようだ。
 そもそも、アタシ自身自分の声に活気を感じない。
 あのまま寝たのがマズかったようだ。練習着にしみ込んだ汗に、バッチリ体温を奪われた。
 ……要するに、風邪をひいた。
 別に、クシャミや咳や鼻水が出てくるわけじゃなく、頭が少し重いだけ。
 だから、学校に出てきてみた……のだが、校門で顔を合わせるなり、ミーに看破されてしまった。
「無理しないほうがいいよ……。インハイ出るんでしょ?」
「アハハ……、大丈夫だってば。ほら、教室行かないと。」
 なんだか、誰かを追い払うときは、この言い訳ばかり使っている気がする。
「うん、わかった……けど、ほんと、無理しないでよ?」
 ミーはまだ後ろ髪を引かれているようだったけれど、それでも一人で行ってくれた。
 正直、今はどんな顔をしてミーの前に居ればいいのかわからなかった。
 こんなになるまで悩んだ原因がミーにあるだなんて、どうして言えるのだろう。
 それを意識してしまったせいか、頭だけじゃなくて、足まで重くなってしまった気がした。
 トボトボ、という擬音が似合う足取りで、アタシはゆっくりと教室に向かっていった。


 昼休み。弁当も喉を通らない。
 授業は、全部寝倒してしまった。そのくせ、怒られなかった。
 先生すら心配するような顔色だったのだと、あとで教えてもらった。
 でも、そのおかげか頭は少し軽くなっていた。
 ……それでも、今日はなんだか、ミーのところに行く気力もない。
 アタシは授業中と同じように、机に突っ伏していた。今日はもう本当に帰ったほうがいいのかもしれない。
 そう考え始めたとき
「なんて顔してんのよ、女子高生。」
 不意に聞こえてきた声に顔を上げる。
「雪さんっ!」
「こんにちは、チカちゃん。」
 木村雪(キムラユキ)さん。ミーの姉にして、アタシ達の憧れの的だ。
 勉強も運動もバツグン、優しくておまけに美人。裁縫から料理、何をやらせても完璧の才色兼備。
「買いかぶりすぎだよ」と笑う謙虚さも素晴らしい。
 そんな雪さんが、今目の前に。突っ伏しているなんてもったいない。
 アタシは雪さんに顔を向け続ける。
「ありゃ。ひどい顔じゃない。どうしたの、風邪?」
「え、あ、はいっ。それが、部活の後、汗も拭かずに寝ちゃいまして……。」
「あっはははははははっ!あははははは!なるほどねー。」
「わ、笑わないでくださいよ。」
 恥ずかしい。いくら自分の不注意が原因とはいえ、恥ずかしい。
 よりにもとって、こんな、憧れの人に、ここまで笑われるなんて。
 熱だけじゃなく、顔が熱くなるのを感じる。
「あははははっ。ごめんごめん。」
 雪さんの眼尻には涙すら浮かんでいる。
「かわいいとこあるじゃない。チカちゃんもさ。」
「ちょっ、雪さんっ!」
 かわいいだなんて。今まで一度も言われたことがない。
「おっ、照れちゃった?やっぱかわいいねー。」
 ……なんだか、ミーが目の前に居るような気がする。
「あ、拗ねないで。ごめんってば。」
 と謝るものの、あまり悪びれた様子はない。
「でも、チカちゃんが風邪ひくだなんてよっぽどじゃないの?今までだって運動部だったじゃない。でも、風邪なんか引いたことなかったでしょう?」
 そのとおり。今までだって、汗だくで家に帰ることは何回もあった。
 だからこそ、普段から風邪なんか引かないように気をつけていた。
 そう、普段は。
「ははーん。さては、悩みでもあるね?」
「ええっ!?」
「あはは。図星でしょ。」
「うぅ……。なんでわかるんですか?」
「わかるわよ。かわいいなぁチカちゃんは。で?で?恋の悩みかな?」
 理由の説明になっていない。
「そんなんじゃないですよ……。」
「じゃ、美崎とケンカでもしたのかな?」
「っ!」
「あらら。やっぱりこっちだったか。」
「違っ」
 ケンカなんかじゃ
「あら?……じゃあ、なんだか美崎との距離を測りかねてる。こんな感じ?」
「……雪さん、本当は知ってたんじゃないですか?」
 思わずジト目で雪さんを見てしまう。
 そんな視線を受けても、雪さんは気にした風もなかった。
「そんなわけないでしょう。まったく、何年あなた達を見てると思ってるの。そのくらいすぐわかるわよ。」
「そんなお母さんみたいなこと言わないで下さいよ……。」
 何でもかんでも知っている雪さん。
 何でもかんでもすぐに見抜いてしまう雪さん。
 そんな雪さんに、ちょっとでも仕返しがしたくて。ちょっとだけ意地悪に言い返す。
「まぁ、美崎にとっても母親みたいなものだったし、ね。その同い年のあなた達も、似たようなものよ……。」
 それなのに、そんな風に切り返して。
「なんてね。」
 と、笑ってみせる。
 その笑顔は、なぜかミーの笑顔とは違うように見えた。
 同じ顔で、違う笑顔。なぜかそのことに、ひどく違和感を覚える。
「ほらほら、真面目に考え込まないの。私だってこの年であなた達のお母さんだなんて名乗りたくなんてないからさ。ほら、今はあなたの話でしょう?」
 そう問いかけてくる雪さんは、やっぱり、いつもの雪さんの顔で。
 その顔は、やっぱり、ミーと同じで。
 ……ミー。
「そう、ミーが」
「そうそう。で、どうしたの?チカちゃんがそんなことになるなんてよっぽどじゃない。」
「それが……。ううん、やっぱり、いいです。」
「おや?」
 ここで雪さんに相談するのは、ちょっと違う気がする。
 そう、これは、
「これは、アタシたちの……ううん、アタシの問題だって。そう思いますから。」
「そっか。キミがそう思うんなら、きっとそうなんだろうね。」
 最初は意外そうな顔をしていた雪さんも、なんだか納得したような顔になっている。
 本当に、雪さんは口にしたことの十倍くらいは理解していてくれそうで。
 なんというか……。どこか、心強い。
「本当に、お母さんみたい。」
「もう、やめてよ。いくらチカちゃんでも」
 雪さんの声を遮って、予鈴が鳴り響く。
「っとと、やば。いい?次そう言ったら怒るからね!」
 あわただしく言い残して、雪さんは教室を出て行った。
 言葉とは裏腹に、その顔には楽しそうな笑顔があったのを、アタシは見逃していない。
 ……そう、あの笑顔。
 なんだかんだと言っていたけれど、アタシの悩みなんて、たったひとつだったんだ。

 アタシはまた、ミーのあの笑顔を見たい。アタシに向けてもらいたい。
 ただ、それだけだったんだ。

 そうとわかれば、もう悩む必要なんてない。
 似合っていないったらありゃしない。
 風邪がどうした、バカヤロー!だ。


 雪さんと話してから、なんだか体が軽くなった気がする。
 午後の授業も問題なく受けられたし、家に帰る足も軽い。
 ……さすがに、部活は顔を見せるなり怒られてしまったけれど。
 それも、期待されているからなんだと思っておく。


「アニキー、気持ちわりぃんだけどー。」
「せっかく人が気分いい時に……。なんなの、アンタは。」
「なんなの、といわれましてもー。弟じゃなかったらいろいろヤバいぜー?」
「……それはツッコミ待ち?それともボケればいいの?」
「アニキにそんなテク求めてないから大丈夫ー。」
 コイツは。どこまで生意気なんだ。
「大体ー、さすがにその言い分は勝手すぎるぜー?」
 下から盛大な溜息が響いてくる。
「今は夜でー、俺は寝ようとしてたわけでー。そしたら上からブツブツ聞こえてきたんだぜー?」
「えっ、嘘?アタシ声に出してた?」
「今のはちょっと可愛かったぜー?アニキらしくもないー。」
「うっ、うるさい!それより、アタシ何か言ってた!?」
「おうー。ミーがなんだのー、セイジがなんだのー、頑張れアタシだのー。」
 全く気づいてなかった。そりゃ、弟から苦情の一つも出るはずだ。
「……ごめん。」
「いやー、素直に謝られても調子が狂うんだけどー。」
「アンタねぇ……。」
 いい加減怒ったほうがいいんだろうか。
「冗談冗談ー。それよりアニキ風邪なんだろー?もう寝ろよー。」
「うーん、ちょっとは気分よくなったんだけどね。」
「移されたら迷惑なんだよー。とっとと治せよー。」
「可愛くない。おやすみ。」
「おうー。」



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